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ハントリー(伯・侯家) ハントリー[はく・こうけ]Huntly, Earls and Marquesses of

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ハントリー(伯・侯家)
ハントリー[はく・こうけ]
Huntly, Earls and Marquesses of

スコットランドの貴族の家柄。ゴードン家が保持。のちスコットランド総監になり,ダグラス家のクローフォード伯を打ち破ったアレクサンダー・ド・シートン (1470没) が,1449年ハントリー伯に叙せられたのが始り。その子の2代ジョージ・ゴードン (1502頃没) はスコットランド大法官になり,その子の3代アレクサンダー (24没) はフロッドンの戦いに参加して敗れ,のち軍司令官,摂政会議委員。4代ジョージ (14~62) は3代の孫で,旧教徒として宗教改革に反対。 1542年イングランド軍を撃破し,同年のジェームズ5世の死後 D.ビートンの支持者になり,幼女王メアリー・スチュアートの拉致計画にも参加。 44年北部統監としてカメロン家,マクドナルド家を粉砕。 46年大法官。 47年ピンキーの戦いでサマセット (公) に敗れ,捕えられたが,のち釈放。 61年のメアリー・スチュアートの帰国後,マリー (伯) への私怨から伯と女王に反抗し,敗れて処刑された。伯爵位もこのとき没収されたが,4代の子ジョージ (76没) は,65年これを回復して5代を継いだ。その子の6代ジョージ (62~1636) は,マリー伯の子の2代を処刑し (1592) ,アーガイル伯と権力を争ったがのち和解し,旧教から新教に改宗した (97) 。 99年ハントリー侯に昇格。初代侯の長子の2代ジョージ (1649没) は,清教徒革命で国王チャールズ1世に味方して挙兵し,敗れて捕えられ,斬首された。4代ジョージ (43~1716) は,ジェームズ7世 (イングランド王としては2世) に仕えて枢密顧問官となり,1684年ゴードン公に叙せられた。 86年よりエディンバラ城管理長官になり,名誉革命の際,初めは王側についたが,89年城を仮議会に明渡した。2代ゴードン公 (5代侯) アレクサンダー (1678?~1728) はジャコバイトで,「十五年の反乱」に参加し降伏したが,許された。5代ゴードン公 (8代侯) ジョージ (70~1836) は,ナポレオン戦争に際し「ゴードン高地人連隊」を組織して転戦したことで知られる。彼の死をもってゴードン公爵位は絶えたが,侯爵位は従弟のジョージ (1761~1853) が9代として継承し,以後現代にいたっている。

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