日本大百科全書(ニッポニカ) 「パナマ運河条約」の意味・わかりやすい解説
パナマ運河条約
ぱなまうんがじょうやく
パナマ運河の法的地位を規定した条約。1903年アメリカはパナマとの間に運河条約(ヘイ‐バリーヤ条約)を締結し、運河の開削権、管理権、運営権、周辺の運河地帯の施政権を獲得した。1901年、運河の国際航行のための開放を規定した、米・英間のヘイ‐ポンスフォート条約とともに、長らくパナマ運河の法的地位を決定してきたものである。しかし50年代以後パナマ国内で高揚した反米ナショナリズム、さらに73年3月パナマで開催された国連特別安保理事会の圧力で、アメリカとパナマの間の新条約の締結が加速され、77年9月新運河条約ならびに運河の永久中立および運営に関する条約が、議定書とともに署名され、79年10月に発効した。これによって99年12月に運河の支配権はパナマに回復されることになったが、それまでは運河地帯の主権はパナマに復するものの、運河の管理・運営・防衛、運河地域と水域の平和的使用権などの特権がアメリカに認められた。99年12月31日正午、パナマ運河および周辺地帯がアメリカからパナマに引き渡された。また、2000年以後も、運河は中立および国際水路の地位に置かれるものとされ、有事の際はアメリカとパナマがそれぞれ運河防衛のための一方的な行動をとることが了解されている。
[石本泰雄]