ヘイ=ポンスフォート条約(読み)ヘイポンスフォートじょうやく(その他表記)Hay-Pauncefote Treaty

改訂新版 世界大百科事典 の解説

ヘイ=ポンスフォート条約 (ヘイポンスフォートじょうやく)
Hay-Pauncefote Treaty

パナマ運河建設に関し1901年11月米英間で結ばれた条約交渉に当たったアメリカ国務長官J.M.ヘイイギリス駐米大使J.ポンスフォートの名をとって呼ばれる。米西戦争後,アメリカはカリブ海と太平洋に植民地を領有し,地峡地帯の運河建設に関心を強めた。イギリスに対し,運河の共同建設を定めたクレートン=バルワー条約(1850)の廃棄を要請し,アメリカが単独で運河を建設し運営に当たる新条約の締結を求め,イギリスは運河の自由航行と平等課税方式によりこれを認めた。本条約締結後,アメリカはさらに地峡地帯を永久に租借できるようコロンビアと交渉し,同国の反対にあうやパナマ独立運動を画策し,1903年,新たに独立したパナマとヘイ=ブノー・バリーリャ条約を結ぶ。これらの条約によりアメリカは運河建設に着手し,以後カリブ海の制海権を確保し,世界的膨張政策展開の布石とした。なおヘイ=ブノー・バリーリャ条約は,78年新パナマ条約で改定された。
パナマ運河
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日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

ヘイ‐ポンスフォート条約
へいぽんすふぉーとじょうやく

アメリカ国務長官ヘイとイギリス駐米大使ポンスフォートとが締結した地峡運河に関する条約。1900年2月に調印された条約(第一次)は、アメリカが単独で運河を建設、管理することを認めるように1850年のクレートン‐ブルワー条約を修正するにとどまったが、アメリカ上院がこれを承認せず修正案を議決したので交渉が再開され、結局1901年11月ふたたび条約(第二次)が締結された。これによって上院が要求したクレートン‐ブルワー条約の廃棄が規定され、アメリカは運河を単独で建設、管理するのみならず、要塞(ようさい)化する権利を事実上認められたが、すべての諸国民に運河を完全平等な条件で開放する義務を負った。また、パナマ運河建設の道が開かれた。

[高橋 章]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 の解説

ヘイ-ポンスフォート条約(ヘイポンスフォートじょうやく)
Hay-Pauncefote

1901年にアメリカとイギリスの間で締結されたパナマ地峡に関する条約。米英両国は1850年にパナマ運河建設の場合,共同事業とする取り決めを結んでいたが,アメリカは特にアメリカ‐スペイン戦争勝利後の国力増大を背景単独事業をめざすようになった。ヘイ国務長官は本条約でイギリスからアメリカが単独で運河を建設・管理・防衛する権利の承認を得て,その結果アメリカによるパナマ運河建設の道が開かれた。

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世界大百科事典(旧版)内のヘイ=ポンスフォート条約の言及

【国際運河】より

…1956年,エジプトが同運河を国有化したため,同運河の中立化は事実上制約されることになったが,運河の国際化の制度そのものは,エジプトも尊重している。 太平洋と大西洋を結ぶパナマ運河を国際化したのは,アメリカ・イギリス間で締結された1901年ヘイ=ポンスフォート条約であった。同条約自身,コンスタンティノープル条約の自由航行,中立化などの規則を採用すると規定した。…

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