パンペリー(読み)ぱんぺりー(英語表記)Raphael Pumpelly

日本大百科全書(ニッポニカ) 「パンペリー」の意味・わかりやすい解説

パンペリー
ぱんぺりー
Raphael Pumpelly
(1837―1923)

アメリカ地質学者。ニューヨーク州オスウェゴーに生まれる。学業を終えたのち、1862年(文久2)に徳川幕府の招きで、北海道の渡島(おしま)半島東部の地質調査にあたった。このときに、簡単なものながら日本で初めての地質図をつくった。1863年からは清(しん)国政府の招きにより、中国華北の石炭調査に従事した。その際の研究をもとにして、それまでの風成層説に対して、黄土が湖の堆積(たいせき)物であるとする説を発表した。モンゴルシベリアを経てペテルブルグ(現、サンクト・ペテルブルグ)に至る研究旅行のあとアメリカに戻り、鉱床調査に従事した。ハーバード大学教授、ミズーリ地質調査所所長となる。また、ミシガンから西オンタリオにかけての鉄鉱床を発見した。

[木村敏雄 2018年8月21日]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「パンペリー」の意味・わかりやすい解説

パンペリー
Pumpelly, Raphael W.

[生]1837.9.8. ニューヨークオスウィーゴ
[没]1923.8.10. ニューポート
アメリカの地質学者。パリの鉱山学校卒業。ハーバード大学教授 (1866~73) 。文久2 (62) 年,江戸幕府要請来日,北海道南部の調査にあたり,火薬を用いて採掘することを教える。同治3 (64) 年清国政府に招かれ,華北の地質を調査。またミシガン,オンタリオ西部地域を踏査し (67~1901) ,有望な鉄鉱脈を発見した。 1903~04年に中央アジア,アシュハバード付近のアナウの原始農耕文化遺跡を発掘した。変成岩中に発見されるパンペリ石は彼の名にちなむ。主著『アメリカおよびアジア横断』 Across America and Asia (1870) 。

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朝日日本歴史人物事典 「パンペリー」の解説

パンペリー

没年:1923.8.10(1923.8.10)
生年:1837.9.8
幕末に来日したアメリカ人地質学者,鉱山技師。ニューヨーク州生まれ。当時国際的にも著名だったドイツのフライベルク鉱山アカデミーを卒業。江戸幕府の招きで文久2(1862)年ブレークと共に来日し,蝦夷地の地質学的調査や地下資源の調査を行い,火薬による採掘技術なども伝え,北海道の鉱山業の開発の基礎を幕府に残した。翌年には日本から中国大陸を経て,アメリカに帰国。のちハーバード大学教授を務める。

(村上陽一郎)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「パンペリー」の解説

パンペリー Pumpelly, Raphael

1837-1923 アメリカの地質学者,鉱山技術者。
1837年9月8日生まれ。文久2年(1862)幕府のまねきで来日。蝦夷(えぞ)地(北海道)の地質調査をおこない,火薬利用の採掘法やあたらしい製錬法をおしえた。3年離日。帰国後はハーバード大教授。1923年8月10日死去。85歳。ニューヨーク州出身。ドイツのフライベルク鉱山学校卒。

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367日誕生日大事典 「パンペリー」の解説

パンペリー

生年月日:1837年9月8日
アメリカの地質学者
1923年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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