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ヒル・ロブレス Gil Robles, José María

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ヒル・ロブレス
Gil Robles, José María

[生]1898.11.27. サラマンカ
[没]1980.9.14. マドリード
スペインの政治家。第二共和制を通じてカトリック人民行動党 (1931創設) の指導者。この党を母体として 1933年右翼政党スペイン自治右翼連合 CEDAを組織,オーストリア型ファシズムの形成を目的とした。 35年 A.レルー内閣の陸相。 36年人民戦線政府に敵対し,スペイン内乱中はリスボンにあって F.フランコ軍のための武器購入に努めた。内乱後政界から引退。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ヒル・ロブレス
ひるろぶれす
Jos Mara Gil Robles Quiones de Len
(1898―1980)

スペインの政治家。1931年、第二共和革命後の憲法制定議会選挙で農業党代議士として当選。左翼共和政権による農地改革、教会の公教育活動禁止令等を社会的・道徳的混乱を生むものとして反対し、保守派の期待を集めた。1933年CEDA(セダ)(Confederacin Espaola de Derechas Autnomasの略、スペイン自治右翼連合)の指導者となり、同年11月の総選挙で教会・中小地主層の支持を得てCEDAを第一党に導き、共和政権の右翼化をもたらした。現存する政治体制はその是非を問わず受容しつつ、合法的活動によるカトリック協調組合国家の建設を目ざす「政体偶性論」(アクシデンタリスモ)を主張したため、左翼陣営からはオーストリア型教権ファシストとみなされた。1936年2月の総選挙での人民戦線の勝利とその後の左右両勢力間の武力衝突の激化にあって、合法主義にたつ彼の政治影響力は失われた。内戦(1936~39)終結後、フランコ独裁に反対してポルトガルに亡命し、そこで「民主的立憲王制」回復の活動を行った。1960年帰国、フランコ体制の自由化を求める運動FPD(民主国民連合)を組織したが小勢力にとどまった。フランコ没(1975)後、FPDのUCD(民主中道連合)加入を拒否したが、民主化への移行にUCDが主導的役割を果たすことに成功したため、最終的に政界から引退した。[山本 哲]

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