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ファッルヒー Farrukhī, Abū al-Ḥasan `Alī

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ファッルヒー
Farrukhī, Abū al-Ḥasan `Alī

[生]? スィースタン
[没]1037
ペルシアの宮廷詩人。ガズニー朝のスルタンマフムードマスウードに仕えた 11世紀の代表的なペルシア詩人の一人。約 9000句から成る『ファッルヒー詩集』 Dīwān-e Farrukhīには流麗,優雅な詩が多く,特に馬の烙印場の光景を詠んだ詩,マフムードのインドのソームナート遠征の詩,およびスルタンの死をいたんだ挽歌は傑作とされている。ペルシア詩ホラーサーン・スタイルの主要な詩人として文学史上に高い地位を占めている。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ファッルヒー
ふぁっるひー
Ab al-asan ‘Al Farrukh
(?―1037)

ペルシアの詩人。スィスタンの出身で、ガズナ朝のスルタン、マフムードに仕えた著名な宮廷詩人。『ファッルヒー詩集』は約9000句からなり、頌詩(しょうし)を主体とする。スルタンのインド遠征に同行。1025年ソームナート遠征についての長編詩やスルタンの死を悲しむ都の光景を詠んだ詩がとくに名高い。流麗、優雅な作風で知られ、ガズナ朝3大詩人の1人に数えられる。[黒柳恒男]

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世界大百科事典内のファッルヒーの言及

【ペルシア文学】より

…10世紀後半に先駆的詩人ダキーキーの後を継いで,イラン建国からササン朝滅亡に至る神話,伝説,歴史をテーマに作詩に着手し,30余年をかけて約6万句に及ぶ大民族叙事詩《シャー・ナーメ(王書)》を完成させたのがイラン最大の民族詩人フィルドゥーシーである。 11世紀初頭から13世紀にかけてトルコ系ガズナ朝,セルジューク朝の支配が続いたとはいえ,これらの王朝も文化的には完全にイラン化してサーマーン朝以来の伝統的文化政策を踏襲したため,異民族王朝支配下においてもペルシア詩は隆盛の一途をたどり,11世紀前半ガズナ朝スルタン,マフムードの宮廷には400人ものペルシア宮廷詩人が仕えていたといわれ,桂冠詩人の制度が設けられ,ウンスリー‘Unṣurī,ファッルヒーFarrukhī,マヌーチフリーManūchihrīらの頌詩詩人が活躍し,ペルシア古典詩の主流になった〈ホラーサーン・スタイル〉を確立し,アラビア語彙を多く採り入れて表現をさらに豊かにした。11世紀後半から12世紀前半にかけてのセルジューク朝支配時代にはペルシア詩は質量ともに最高潮に達し,宮廷詩人としてはムイッジーMu‘izzīをはじめ,頌詩の最高詩人アンワリーが現れた。…

※「ファッルヒー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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