改訂新版 世界大百科事典 「クヌット2世」の意味・わかりやすい解説
クヌット[2世]
Knud Ⅱ
生没年:1000-35
イングランド王としてはクヌート1世(在位1016-35),デンマーク王としてはクヌット2世(1018-35)。1014年2月,父でデンマーク王スベン1世の急死後,父のイングランド征服事業を受け継いだが,16年イングランド王エドマンドの急死でその事業を達成した。ついで18年兄ハーラル2世の死によりデンマーク王位を継承した。またノルウェー支配をも目ざし,28年ノルウェー王オーラブ2世を追放し,さらに30年スティクレスタStiklestadでのオーラブの戦死で,イングランド,デンマーク,ノルウェーにまたがる〈北海帝国〉を成立させた。1027年にはローマにおけるドイツ国王コンラート2世の皇帝戴冠式に列席し,これを機にデンマーク・ドイツ国境問題を解決した。イングランド王として,アングロ・サクソンの伝統を尊重し,スベン1世と争ったイングランド王エセルレッド2世の未亡人エンマEmmaと結婚,またデンマークの艦隊を帰国させて軍制の改革を実行し,教会人にはその特権を認めて味方につけた。またクヌットの法典により,統治機構,貨幣制度,税制の整備に努めた。一方デンマーク王として,多数のイングランド人聖職者をデンマークに招請し,キリスト教の発展に努力したが,これはデンマーク教会の長たるハンブルク・ブレーメン大司教との対立を引き起こした。またルンド,ロスキレなどデンマーク各地にイングランドを模倣した貨幣鋳造所を置いた。しかし在位中のデンマーク滞在期間は非常に短く,デンマークにおける彼の政策に関しては不明な部分が多い。彼の死後,後継をめぐり,嫡子でデンマーク王となっていたハルデクヌットHardeknud(在位1035-42)とその異母兄ハーラルHarald Harefod(英名はハロルド1世,在位1037-40)とが対立し,1037年ハーラルがイングランド王位に就き,ハルデクヌットは亡命を余儀なくされた。40年ハーラルの死去でハルデクヌットが登位したが,2年後に他界し,デンマークではノルウェー王マグヌス1世善王が,イングランドではエドワード懺悔王が王位を継承,ここにクヌットの北海帝国は崩壊した。
執筆者:牧野 正憲
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報