日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
ファブリキウス(Guilhelmus Fabricius Hildanus)
ふぁぶりきうす
Guilhelmus Fabricius Hildanus
(1560―1634)
ドイツの外科医。本名はWilhelm Fabry。創傷医出身で外科医として名声をはせ、ドイツのパレともよばれる。また敬虔(けいけん)なキリスト信者でもあった。デュッセルドルフ近郊のヒルデンに生まれる。父は裁判所書記であったが、早く世を去ったため、13歳で学業を中断、以後、ケルンの創傷医のもとで徒弟生活を送りながら、ラテン語も身につけ、また外科医のもとで修業をしたり、解剖学の学習にも熱心に取り組んだ。33歳で書いた処女論文「壊疽(えそ)論」(1693)は印刷されて11版を重ね、さらにフランス語版も出た。フランス、ポーランド、ドイツの各地を数年ごとに移動しながら、診療と著作を行った。多くの外科器機の発明改良があり、四肢切断、膀胱(ぼうこう)結石の手術法でも知られている。
[中川米造]
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