日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブクレシュティ」の意味・わかりやすい解説
ブクレシュティ
ぶくれしゅてぃ
Bucureşti
ルーマニアの首都。英語名ブカレストBucharest。ルーマニア南部、ドナウ川の北側に広がるルーマニア平原中央のブラシア平野にある。人口192万1751(2002)。ブクレシュティ市周辺部はイルホブIlfov農業地区として、行政的にはブクレシュティ市に含まれていた。しかし、1997年以降、ブクレシュティ市から分離独立し、イルホブ県になった。イルホブ県の人口は30万0109(2002)で、ブフテアBufteaが県都。ブフテアはブクレシュティ市の北西17キロメートルに位置し人口2万2000(2003推計)である。市の中央を東西にドゥンボビツァ川、北を支流のコレンティナ川が流れ、中心部は両河川の間に広がる台地に発達し、標高63~91メートルの間を占める。年平均気温は11℃、年降水量は600ミリメートルである。春と夏には南東風や南西風が吹き、降雨や乾いた暖気をもたらすが、秋と冬には寒気と降雨をもたらす北東風クリバーツcrivǎţ(英語名クリベッツcrivetz)が吹く。
1989年12月のチャウシェスク社会主義政権崩壊までは、市の中心部は社会主義政権関係の機関が集中していたが、その後は政府機関、国会、各国大使館、美術館、教会、大学、銀行、ホテル、レストラン、商店などが目だつ。ブクレシュティは交通の要衝で、8方面に延びた鉄道の結節点をなす。市の北部にあるオトペニ国際空港やバネアサ空港は航空路の中心をなす。この国最大の工業都市であり、学術文化都市でもある。機械・金属工業をはじめ、自動車、電気機械、石油化学、繊維、食品、印刷、皮革などの各種工業が発達している。ブクレシュティ大学をはじめ国立・私立の各種の大学や研究機関が集中している。ほかにアカデミー図書館、アテネウル・ロムン音楽堂、国立劇場、オペラ劇場、農村博物館をはじめ、各種博物館、G・エネスク交響楽団、その他各種の施設や団体がある。また16、17世紀建立のミハイ・ボーダ教会、コルツェア教会、ドアムナ教会など古い教会も多数残っている。第二次世界大戦後、市の周辺地区にドゥルムル・タベリ、ティタン、ベルチェニなど数十万人居住の高層団地群が建設された。市内にはチシュミジウ公園、郊外にはバネアサの森、パンテリモンの森などブラシア大森林の名残(なごり)をとどめる森林公園があり、コレンティナ川の蛇行によってできたヘラストラウ湖、フロレアスカ湖、チェルニカ湖などとともに市民の憩いの場になっている。
[佐々田誠之助]
歴史
14世紀後半にコンスタンティノープル(現トルコのイスタンブール)とヨーロッパ諸国との貿易中継地として築かれた。ワラキア公国の首都は主としてトゥルゴビシュテにあったが、1660年からブクレシュティに移った。当初、市の住民にはギリシア人官僚やユダヤ人が多かったが、19世紀前半に西ヨーロッパからの影響が波及し、市の政治的役割も高まり、市街が近代化した。1821年、48年の民族革命の際には一時革命派の支配下に置かれた。1861年に成立したルーマニア公国の、また81年に成立したルーマニア王国の首都となった。ロシア・トルコ戦争(第一次〔1768~74〕~第六次〔1877~78〕)に際してしばしばロシア軍に占領されたが、第二次世界大戦中の1940~44年にはドイツ軍に支配された。47年にルーマニア人民共和国が成立し、その首都となった。89年のチャウシェスク社会主義政権崩壊後はルーマニア共和国の首都である。
[木戸 蓊]