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アメリカの詩人。マサチューセッツ州の厳格なピューリタンの家庭に生まれたが,聖書と18世紀イギリス文学に親しみ,早くから詩人を志した。生活のために法律を勉強して弁護士にもなったが,23歳のころには詩人として名を知られるようになった。有名な死の瞑想詩〈サナトプシス〉は16歳のころに初稿が書かれ,イギリスのトマス・グレーやエドワード・ヤングなどのいわゆる墓地派詩人たちの影響を受けたものと見られ,のちに改作されたものが《詩集》(1821)に収められた。また自然詩にも傑作を残し〈水鳥へ〉や〈森のうた〉などが知られている。89編の詩を収めた《詩集》(1832)のほか,9冊の詩集と散文評論《旅人の手紙》(1850,第2集1859)を残し,晩年には翻訳《イーリアス》(1870),《オデュッセイア》(1871)を完成した。ロマン主義的な自由な発想の背後に純粋いちずなピューリタン的厳格さを感じさせるあたりは,過渡期的な時代に生きた詩人の特徴をうかがわせる。
執筆者:後藤 昭次
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
アメリカの詩人。短詩『死への想い』(1811執筆、1817発表)は初期ロマンチシズムの「墓地派」の傾向を示したが、1821年の改訂で、自然を愛する者には自然が語りかけてくると歌って、自然詩人の立場を確立した。『水鳥によせる』(1821)や「森は神の社(やしろ)であった」と歌う『森の聖歌』(1825)、『大草原』(1832)などでアメリカのワーズワースと評価されたが、教訓癖を脱しきれなかった。1829年以来ニューヨークの『イブニング・ポスト』編集長としてロマンチシズムを推進し、奴隷解放など時事問題にも深い関心をもち、民主党を離れて共和党設立に尽力した。また晩年にはホメロスなどの翻訳も手がけた。
[松山信直]
…アメリカのスコットと呼ばれたJ.F.クーパーは五部作《レザーストッキング物語》(1823‐41)において,高貴な開拓者ナティ・バンポーを文明と荒野の接点に置き,アメリカのフロンティアに大ロマンスを展開させた。W.C.ブライアントは大自然をたたえ,〈アメリカ詩の父〉となった。
[アメリカ・ルネサンス(19世紀中葉)]
19世紀初頭のアメリカには,人間が生まれながらに有する善性を強調するユニテリアニズムが興ったが,そこから出発し,神秘主義とデモクラシー発展期の思潮とを融合させたところから,超越主義者(トランセンデンタリズム)と言われるエマソンが現れた。…
※「ブライアント」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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