ブライアント(英語表記)Bryant, Kobe

精選版 日本国語大辞典 「ブライアント」の意味・読み・例文・類語

ブライアント

(William Cullen Bryant ウィリアム=カレン━) アメリカ文学確立期の詩人。アメリカ詩人の父と称される。代表作「サナトプシス」。(一七九四‐一八七八

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デジタル大辞泉 「ブライアント」の意味・読み・例文・類語

ブライアント(William Cullen Bryant)

[1794~1878]米国の詩人・ジャーナリスト清教徒倫理観と自然愛とをうたった。詩「水鳥へ」「森の聖歌」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ブライアント」の意味・わかりやすい解説

ブライアント
Bryant, Kobe

[生]1978.8.23. ペンシルバニア,フィラデルフィア
[没]2020.1.26. カリフォルニア,カラバサス
コービー・ブライアント。アメリカ合衆国のプロバスケットボール選手。NBAロサンゼルス・レイカーズを 5度(2000~02,2019,2010)にわたり優勝に導いた。NBAで 8シーズンプレーした父ジョー(通称ジェリー・ビーン)がイタリアのプロチームに所属していた 8シーズンの間,現地の学校に通う。帰国後,ペンシルバニア州アードモアのローアーメリオン高等学校在学中,バスケットボールの全米年間賞を複数回受賞し,ウィルト・チェンバレンのもつペンシルバニア南東地区の高校生得点記録を破る 2883点を記録。卒業後,ドラフトで NBAのシャーロット・ホーネッツに全体の 13位で指名され,入団後まもなくレイカーズにトレードされる。1996―97年シーズン開幕時には史上 2番目に若い NBA選手となった。2シーズン目には史上最年少でオールスターに選ばれた。フィル・ジャクソン監督就任後のレイカーズは,シューティングガードのブライアント,センターのシャキール・オニールコンビネーションが驚くほどの効果を上げ,1999―2000年から 2001―02年シーズンまで 3年連続で NBA王者に輝いた。ブライアントはその後,異性とのトラブルに見舞われイメージを大きくそこない,オニールのトレードにより一人でチームリーダーをまかされることになったが,2005―06年,2006―07年にはリーグ得点王となり,2008年には自身初となる最優秀選手 MVPに選出された。2008―09年と 2009―10年にはチームを 2シーズン連続の NBA王座に導き,みずからはファイナル最優秀選手に連続で選ばれた。アキレス腱や膝の負傷が響き,2015―16年シーズンを最後に現役を引退。2008年の北京オリンピック競技大会,2012年のロンドン・オリンピック競技大会ではアメリカ代表チームのメンバーとして出場し,金メダルを獲得した。現役引退を表明した 2015年にみずから書いた詩『親愛なるバスケットボール』Dear Basketballが 2年後に同名タイトルで映画化され,アカデミー賞の短編アニメーション賞を獲得。著書に "The Mamba Mentality: How I Play"(2018)。2020年1月26日,13歳の二女と搭乗していたヘリコプタが墜落,他の 7人全員とともに死亡。2020年末,ネイスミス記念バスケットボール殿堂入り。

ブライアント
Bryant, William Cullen

[生]1794.11.3. マサチューセッツ,カミントン
[没]1878.6.12. ニューヨーク
アメリカの詩人,ジャーナリスト。ウィリアムズ・カレッジ中退,しばらくマサチューセッツ州で弁護士をしたが,1825年ニューヨークに出て『ニューヨーク・レビュー』誌を編集,翌年から死去するまで『ニューヨーク・イブニング・ポスト』紙の主筆として,自由主義的な言論活動を行なった。 17歳のとき書いた瞑想詩『死生観』 Thanatopsis,21歳の作『水鳥に』 To a Waterfowlなど,自然を歌った初期の詩で知られる。主著『詩集』 Poems (1832) ,『泉』 The Fountain (42) ,『白い足の雄鹿』 The White-Footed Deer (44) ,『自然の声』 Voices of Nature (65) 。

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改訂新版 世界大百科事典 「ブライアント」の意味・わかりやすい解説

ブライアント
William Cullen Bryant
生没年:1794-1878

アメリカの詩人。マサチューセッツ州の厳格なピューリタンの家庭に生まれたが,聖書と18世紀イギリス文学に親しみ,早くから詩人を志した。生活のために法律を勉強して弁護士にもなったが,23歳のころには詩人として名を知られるようになった。有名な死の瞑想詩〈サナトプシス〉は16歳のころに初稿が書かれ,イギリスのトマス・グレーやエドワード・ヤングなどのいわゆる墓地派詩人たちの影響を受けたものと見られ,のちに改作されたものが《詩集》(1821)に収められた。また自然詩にも傑作を残し〈水鳥へ〉や〈森のうた〉などが知られている。89編の詩を収めた《詩集》(1832)のほか,9冊の詩集と散文評論《旅人の手紙》(1850,第2集1859)を残し,晩年には翻訳《イーリアス》(1870),《オデュッセイア》(1871)を完成した。ロマン主義的な自由な発想の背後に純粋いちずなピューリタン的厳格さを感じさせるあたりは,過渡期的な時代に生きた詩人の特徴をうかがわせる。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブライアント」の意味・わかりやすい解説

ブライアント
ぶらいあんと
William Cullen Bryant
(1794―1878)

アメリカの詩人。短詩『死への想い』(1811執筆、1817発表)は初期ロマンチシズムの「墓地派」の傾向を示したが、1821年の改訂で、自然を愛する者には自然が語りかけてくると歌って、自然詩人の立場を確立した。『水鳥によせる』(1821)や「森は神の社(やしろ)であった」と歌う『森の聖歌』(1825)、『大草原』(1832)などでアメリカのワーズワースと評価されたが、教訓癖を脱しきれなかった。1829年以来ニューヨークの『イブニング・ポスト』編集長としてロマンチシズムを推進し、奴隷解放など時事問題にも深い関心をもち、民主党を離れて共和党設立に尽力した。また晩年にはホメロスなどの翻訳も手がけた。

[松山信直]

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世界大百科事典(旧版)内のブライアントの言及

【アメリカ文学】より

…アメリカのスコットと呼ばれたJ.F.クーパーは五部作《レザーストッキング物語》(1823‐41)において,高貴な開拓者ナティ・バンポーを文明と荒野の接点に置き,アメリカのフロンティアに大ロマンスを展開させた。W.C.ブライアントは大自然をたたえ,〈アメリカ詩の父〉となった。
[アメリカ・ルネサンス(19世紀中葉)]
 19世紀初頭のアメリカには,人間が生まれながらに有する善性を強調するユニテリアニズムが興ったが,そこから出発し,神秘主義とデモクラシー発展期の思潮とを融合させたところから,超越主義者(トランセンデンタリズム)と言われるエマソンが現れた。…

※「ブライアント」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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