古代ギリシアの詩人ホメロスの作として《イーリアス》と並び称せられる大叙事詩。アレクサンドリア時代より24巻本として今日に伝わる。
トロイアを攻略した後,帰路に着いた英雄オデュッセウスがその途次漂浪を重ね,12の冒険と危機を克服して,10年の後ようやく故郷イタケー島に単身たどりつく。留守を守っているのは貞節な妻ペネロペとようやく成人した一子テレマコスであるが,近隣諸地の貴族らはオデュッセウスがすでに亡きものと思い,ペネロペと結婚し家財を乗っとろうと押し掛けて彼女を苦しめる。彼女は機織りの奇計によってしばしの時をかせいだが,今はそれも見破られ万策尽きたかに見える。一子テレマコスは父親の消息を求めて,ピュロスやスパルタを歴訪して父の戦友たちの話を聞くが,確たる情報をつかむこともできぬまま,母親の求婚者どもが待ち伏せているイタケーに帰ってくる。オデュッセウスは老乞食に身をやつし,豚飼いエウマイオスの小屋にひそんでいたが,そこでテレマコスと邂逅(かいこう)し,父子携えて計略を練り,身の上を秘したまま乞食姿でわが家に帰りつく。オデュッセウスは老犬や老婢に正体を見破られるが,計略は功を奏し,ペネロペが提案した弓矢競技の場で,求婚者どもの虚を衝いて彼らを一人残らず誅殺する。翌日老父ラエルテスの農園を訪ねて涙の再会を遂げる。殺された求婚者どもの親族との間に争いが巻き起こるかに見えるが,これも天上の神々の干渉によって制止されるという段で幕が降りる。
以上の筋の物語をホメロスはわずかに3週間ばかりのできごとに再構成し,劇的迫真性をもつ叙事詩にまとめ上げているのであるが,ここに盛り込まれている豊富な神話・伝説を素材として見るならば,現実感に満ちたオデュッセウス像の背景には幾世代にもわたる,古い素材の蓄積や再編成の痕跡が明白に認められる。とくに終末部分の処理については古代より疑念が表明されてきた。この事実はJ.W.A.キルヒホフの分析的研究以来今日までの100年間専門学者たちによって詳細に検討されてきているが,他方,きわめてモダンで現実的な人間オデュッセウスがおとぎ話の国で遭遇する食人鬼の恐怖,魔女たちの誘惑,とりわけ冥府訪問の段で語られる彼岸体験などは,おのおのの素材や処理の異質性もさることながら,後世の詩人や思想家たちには深い寓意性を示唆し,新しい人間体験を語る文学創造の契機となることが多かった。ローマの詩人ウェルギリウスは《アエネーイス》叙事詩の前半部分で《オデュッセイア》を範としたと伝えられるが,とりわけ第6巻の構成はホメロスを深く意識しながらローマ叙事詩の独自の精神性を明らかにしている。またルネサンスの詩人ダンテの冥界漂泊の歌《神曲》も,ウェルギリウスを介しての,一つの《オデュッセイア》解釈を留めている。《オデュッセイア》の現代人に意味する象徴性を語っているものとしては,ジョイスの《ユリシーズ》,E.L.パウンドの《詩編》,T.マンの《魔の山》などの20世紀初頭文学の代表作が挙げられよう。
執筆者:久保 正彰
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『イリアス』とともにホメロスの作とされる古代ギリシアの英雄叙事詩。今日では『イリアス』より約一世代遅れて紀元前8世紀末に制作されたもので、その作者も『イリアス』の作者と同一人ではないと考える学者が多い。『イリアス』より約3000行短く、1万2000行にわずかに足りない。『イリアス』同様24巻に分かれ、ギリシア語アルファベット24字で順序を示す。題名は「オデュッセウスの歌」の意で、トロヤ落城後、さらに10年にわたって各地を放浪した英雄オデュッセウスを主人公とした冒険談である。
物語は放浪生活も終わりに近く、オデュッセウスはニンフのカリプソに愛され、オギュギエの島に留められてすでに7年になる時点から始まる。一方オデュッセウスの故国イタケでは、彼はすでに死亡したものとして、近隣の貴族の若者たち多数が妃(きさき)ペネロペイアに求婚し、屋敷に居座っては宴遊に明け暮れ、妃とひとり息子のテレマコスを悩ましている。やがてオデュッセウスは故国へ帰り、テレマコスと力をあわせて悪虐な求婚者たちをことごとく討ち果たすまでの、約40日間のできごとが詩の内容である。
冒頭、神々の会議が開かれ、アテネの発議でオデュッセウスを帰国させることが決定される。巻1~4では、アテネに激励されたテレマコスが、求婚者たちに対抗する決意を固めるとともに、父の消息を求めて、ピロスのネストル、スパルタのメネラオスを訪ねる。巻5から話はオデュッセウスに移り、神ヘルメスがカリプソにゼウスの意を伝え、オデュッセウスは筏(いかだ)に乗って帰国しようとするが、ポセイドンの起こした嵐(あらし)で難破し、からくもスケリエ島に漂着、ここの住民パイエケス人の保護を受ける。巻6~12は、パイエケス人の王アルキノオスの館(やかた)で、オデュッセウスが物語る数々の冒険談がその大部分を占める。
物語のほとんどすべては、隻眼(せきがん)の巨人キクロペスや歌う魔女セイレンなどの怪異談である。巻13でイタケに帰還したオデュッセウスは、テレマコスと忠義な豚飼いエウマイオスの協力を得て、悪人たちを討ち、妻ペネロペイア、老父ラエルテスと再会、求婚者たちの遺族との対決も、アテネの介入によって回避され、万事めでたく終わる。全編中カリプソの島の美しい自然描写(巻5)、パイエケスの王女ナウシカアのかれんな姿(巻6)、キクロペスの物語(巻9)、乳母(うば)に足を洗わすとき古傷を見られて素姓を悟られる場面(巻19)、かたくなに認知を拒むペネロペイアが、ついにオデュッセウスを夫と認めるくだり(巻23)などは、とくに印象深い名場面である。
[松平千秋]
『呉茂一訳『オデュッセイアー』全2冊(岩波文庫)』▽『松平千秋訳「オデュッセイア」(『世界文学全集1』所収・1982・講談社)』
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『イリアス』とともにホメロスの作とされるギリシア最初の文学作品。『イリアス』よりは少し新しい。六脚韻を用い,24歌に分けられる長大な英雄叙事詩。「トロヤ戦争が終わって帰国するイタカ王オデュッセウスが,10年にわたって東地中海を漂流し,物乞いに身をやつして王宮に帰り,長い間貞節を守ってきた王妃に言い寄る求婚者の群れを,血祭りにあげて王位に復する」という筋の物語。
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…若くしてパリに遊学中ベルグソンの哲学に心酔したのをはじめとして,ニーチェからキリスト教,仏教などに次々に没入,人間の自由の意味を追い求めた。その成果は1938年に完成した《オデュッセイア》に集約的に表現された。これはホメロスの叙事詩の後日譚という形で,この英雄の遍歴をホメロスの3倍の分量にわたって書きつづった壮大な詩作品である。…
… 口承文芸の段階から〈祖本〉校訂の完了までその間7,8世紀,ギリシアは都市国家(ポリス)群の興隆,ペルシア帝国との幾度かの戦争,ギリシア人同士の覇権争い,マケドニア王国の勃興とギリシア統一,アレクサンドロス大王の東征とヘレニズム世界の出現,という歴史のめまぐるしい推移を閲(けみ)した。しかしその間一貫して初期の叙事詩文芸,とりわけホメロスの《イーリアス》と《オデュッセイア》やヘシオドスの教訓詩が至高の評価に値するものとされてきた。それはこれらの作品が平明な言葉と論理的な筋の運びによって,歴代のギリシア人たちが世情の転変を超えて求めてやまなかった人間的な諸価値を,具体的に人間行為を通じて示し,称揚し続けてきたからにほかならない。…
…古代ギリシア,アッティカ古喜劇の三大作家のひとり。そして,このアッティカ古喜劇という世界の文学史のなかできわめて特異な場所を占める文芸分野の完成者であり,またその死の証人でもある。彼の創作した喜劇は,20歳前の作と伝えられる《宴の人々(ダイタレス)》(前427)から,《福の神(プルトス)》(前388)に至るまで44編に及ぶと伝えられているが,そのうちの11編,すなわち《アカルナイの人々》(前425),《騎士》(前424),《雲》(前423),《蜂》(前422),《平和》(前421),《鳥》(前414),《女の平和》《テスモフォリアを祝う女たち》(ともに前411),《蛙》(前405),《女の議会》(前392),《福の神》はほぼ完全な形で残っており,そのすべては邦訳によっても読むことができる。…
…
【資料】
宗教的聖典の類を欠く古代ギリシアの神話伝説を伝えているのは,一般には文学とみなされているもので,ほぼ年代順に次のごときものである。ギリシア最古の文献でもあるホメロスの叙事詩《イーリアス》《オデュッセイア》。ついで神々の系譜の総合的整序の企てともいうべきヘシオドスの《神統記》と《農と暦(仕事と日々)》。…
…太陽神ヘリオスの娘で,伝説的なアイアイエAiaiēという島に住み,魔法に長じていた。ホメロスの《オデュッセイア》によれば,オデュッセウスとその部下たちがこの島に着き彼女の館を訪れたとき,彼女は部下たちに魔法の酒を飲ませて豚に変えた。しかしオデュッセウスだけは,あらかじめヘルメス神から特別の魔除けの薬草を与えられていたので魔法がきかず,逆に彼に脅迫され,部下たちをもとの姿に戻すことを余儀なくされた。…
…これは抗精神病薬というよりも下剤の一種であり,暗示効果をねらったのであろう。ホメロスの《オデュッセイア》には次のような物語がある。〈オデュッセウスの子テレマコスは,トロイアの攻城と自国の不幸を話したところ,同国人が悲しんで皆泣きだした。…
…いずれにせよ,どちらの場合も,まず叙事詩,ついで抒情詩,劇詩が盛んになっている。 古代ギリシアはまず,ホメロスという伝説的な詩人の作と伝えられる二大叙事詩《イーリアス》と《オデュッセイア》を持つ。これはトロイア戦争を題材とする膨大な叙事詩群の一部をなすもので,紀元前8世紀ごろ成立したとされるが,実際にはそれ以前から長期にわたって吟遊詩人によって語り伝えられていたものらしい。…
…すなわち,はじめはエポスepos(言葉で表されたもの)とポイエインpoiein(作る,製作する)とを合成して作られ,それは韻文で話を語ることを指していた。 近代ヨーロッパにおいて,叙事詩という語が一般に用いられるようになったとき,人々はホメロスの《イーリアス》《オデュッセイア》を最高の模範とみなしながら,ある特定の文学ジャンルを明確に指す用語として使用したのである。それによれば,叙事詩とは,ある歴史的な事件,あるいは民族全体にかかわる伝説上の事件において,華々しい英雄的な功業を遂げた人物の行動を,韻文形式で語る文学作品を意味した。…
…絵画,音楽にも造詣が深く,オラトリオを作曲したこともある。またホメロス作として現在知られている《オデュッセイア》の作者は女性であったという説を発表(1897)して,世間を驚かせた。しかし,彼の本領は文学,とくに小説の創作であって,72年に《エレホンErewhon》を発表した。…
…《イーリアス》が24巻に分けられたのは,すでにパピルス巻物がギリシアにおいても用いられるようになってから後のことである。《オデュッセイア》は《イーリアス》より少ない巻数におさめられるにもかかわらず,やはり24巻に分けられたのは,《イーリアス》と釣り合うためであろう。そういう場合には,大きな文字で書かれるのがつねであった。…
※「オデュッセイア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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