プロシア(その他表記)Prussia; Preussen

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「プロシア」の意味・わかりやすい解説

プロシア
Prussia; Preussen

北東ヨーロッパの歴史的地名。ドイツ語でプロイセンと呼ばれる。プロシアはホーエンツォレルン家支配下で,18世紀にオーストリアと並ぶ大勢力となり,1871年のドイツ帝国建設の主動力,中核となった王国であるが,この名はもともと,中世のバルト海沿岸,ウィスワ川下流域に住む一民族 (→プロシア人 ) をさした。周囲のスラブ諸族がキリスト教に改宗しても,異教にとどまったため,13世紀にポーランドのマゾフシェ公コンラットの要請でドイツ騎士団がプロシア人を征服し,ドイツ移民を誘致して騎士団国家プロシアを建設した。 15世紀にポーランドがドイツ騎士団と戦ってプロシアの西半を併合,東半は宗教改革によって世俗的なプロシア公国となったが,プロシア公はホーエンツォレルン家だったため,1618年同家の断絶により,ブランデンブルク辺境伯領に統合された。 1701年以来ブランデンブルク選帝侯はプロシア王を名のり,72年の第1次ポーランド分割で西部プロシアもこの王国の一州となった。 1918年にホーエンツォレルン家の支配が終りを告げて以後も,プロシアはワイマール共和国ナチスの「第三帝国」を通じてドイツ国家の一州を形成し,第2次世界大戦後,ソ連によるプロシア解体政策の結果,名実ともに消滅した。

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世界大百科事典(旧版)内のプロシアの言及

【プロイセン】より

…後者の意味でのプロイセンは,さらに,ワイクセル川を境に東プロイセン(オストプロイセンOstpreussen)と西プロイセンとに大別されるが,歴史的には東プロイセンが最も古く,中世初期この地域に定住していたバルト語系のプルッセン人(プロイセン人)Prussenからプロイセンという地名が生まれた。プロシアPrussiaともいう。
[騎士修道会国家プロイセン]
 プロイセン人は固有の部族宗教を奉じ,10世紀の末プラハ司教アダルベルトがこの地に布教を試みて殉教したのをはじめ,その後ポーランド王による一時的な支配とキリスト教化の努力にもかかわらず,13世紀初頭まで頑強にその政治的・宗教的な独立性を保った。…

※「プロシア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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