イギリスの評論家、歴史家。12月4日スコットランド、ダンフリーズシャの石工の息子として生まれる。母から読み書きを、父から算数を学んだのち村の小学校に入学したが、7歳にして完全な英語を身につけラテン語を学び始めたという。激しい気性のためしばしば問題を起こしたが、幼くして豊かな学才を示した彼は、1809年14歳のときエジンバラ大学に入学した。初めギリシア語とラテン語を学んだが、やがて彼の関心は数学に向かい、「偉大なるニュートンの足跡をたどることに誇りを感じ」るようになったとは、未完の自伝小説『ウォットン・ラインフレッド』の主人公が述懐するところである。大学卒業後、しばらく学校の教師などをしながらしだいに文学を志すに至るが、『ロンドン・マガジン』に連載した『シラー伝』(1825)が出版されるに及んで、ドイツ・ロマン派の紹介者としての地歩が確立した。1826年スコットランドの女性ジェーン・ウェルシュJane Baillie Welsh(1801―1866)と結婚、たまたまこの女性が優れた書簡の書き手であったことから、この二人の恋文はのちに『T・カーライルとジェーン・ウェルシュの恋愛書簡』2巻(1909)となって残された。
1834年カーライル夫妻はロンドンのチェルシー地区に居を構え、カーライルはチェルシーの哲人とよばれて、この時代のイギリス思想界に指導的な役割を果たした。それより先『フレイザーズ・マガジン』に連載(1833~1834)した『衣装哲学』によって、ゲーテ、ジャン・パウルなどの影響の濃いロマン主義的宗教観、芸術観が確立したとみられる。これとほぼ並行して執筆中の『フランス革命史』の第1巻の原稿がJ・S・ミルの不注意から焼失した挿話は有名であるが、一方では歴史研究のうちに英雄の存在理由を探り(『英雄および英雄崇拝』1841)、他方、当代の政治や社会状態に深い関心を示した(『チャーティズム』1839、『当世評論』1850など)発言は、今日からみれば明らかにその時代の思潮を脱しきれぬもので、声高の文体や大げさな身ぶりは保守反動の危険な思想家の印象を強くするが、物質主義、功利主義に反対し、魂と意志の力を重んじた彼の人生観、世界観は、当時にあっては警世の力を発揮した。1866年ジェーンの死とともに彼の気力もにわかに衰え、『回想録』(1881)が最後の仕事となった。
[前川祐一 2015年7月21日]
『入江勇起男他訳『カーライル選集』全6巻(1962、1963・日本教文社)』
イギリスの思想家,歴史家。スコットランドの寒村に生まれ,苦学しながら牧師を志してエジンバラ大学に学んだが,宗教的懐疑に陥り,ゲーテを耽読して懐疑主義を脱したことから文筆の道を志すこととなった。《ウィルヘルム・マイスター》を翻訳,その他ドイツ文学の紹介を雑誌に寄稿していたが,1833-34年,自己の思想的立場の宣明である《衣装哲学》を雑誌に発表。奇想に富むこの作品はなかなか理解されなかったが,ロンドンに出て書いた大作《フランス革命史》(1837)は色彩豊かで生動する叙述により大好評を博した。40年には《英雄崇拝》について講演,その頃から《チャーチズム》(1839),《過去と現在》(1843)などを著して工場労働の非人間性,労働者の悲惨な生活を無視する自由放任主義を痛撃し,大きな影響を与えたが,英雄を待望して民主主義を否定し,独裁的指導者の出現を期待するなどの傾向も現れている。その後も《クロムウェル伝》(1845),《フリードリヒ大王伝》6巻(1858-65)などの大作がある。彼の思想は独創的とはいえないが,伝統的なプロテスタント的良心がロマン的精神主義の形をとって合理主義や機械主義に反対するもので,宗教信仰の動揺に悩む当時のイギリスの知識層に広く迎えられた。日本でも特に明治期に大きな影響を与え,内村鑑三,植村正久,新渡戸稲造らのキリスト教徒,高山樗牛,国木田独歩らの文学者に愛読された。
執筆者:海老根 宏
イギリス,イングランド北西部,カンブリア州の州都,商工業都市。人口10万3300(2006)。ローマ人の居留地に始まり,ローマの撤退後はその地理的位置ゆえにイングランドとスコットランドの間で争奪の対象となったが,1092年ウィリアム2世が城壁を築き,以後イングランドの北部防衛上の拠点として発達した。12世紀に自治都市としての勅許をうけ,主教座聖堂も建立された。19世紀以降は鉄道網の中心となり,綿工業によって栄えた。主要産業は製粉業,織物業など。
執筆者:今井 宏
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1795~1881
イギリスの思想家。スコットランド出身。当初ドイツ文学の紹介者として登場し,独自の思想に彩られた『衣装哲学』で注目を引く。物質尊重と大衆社会状況に反発して,英雄史観に彩られたいくつかの史伝を書き,知識階級に読者を持った。主著に『フランス革命史』『オリヴァー・クロムウェル』など。
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…イギリスの思想家カーライルの哲学的・伝記的論説。1840年6回の連続講演として公にされ,41年出版。…
… クロムウェルに対する評価は,その死後1世紀ほどは,悪人,野心的偽善者として芳しくないものであったが,19世紀大英帝国の確立とともに,専制君主への抵抗,対外積極政策,ピューリタニズムの諸点で再評価されるようになった。日本においては彼の生涯と業績は,主としてカーライルの《クロムウェルの書簡と演説》(1845)などを通して伝えられ,国王を処刑した〈ピューリタンの英雄〉として,明治時代の一部の知識人の生涯に決定的ともいえる影響を及ぼした。広範な社会活動を展開した小説家木下尚江の出発点には,松本中学の歴史の教室でのクロムウェルとの出会いがあったし,また教育勅語の発布を契機に起こった〈内村鑑三不敬事件〉(1891)の背後には,カーライルの書物を愛読した内村のクロムウェルへの傾倒があり,その後も内村はしばしばクロムウェルの生涯を論じている。…
…彼らの討論会が〈超越クラブTranscendental Club〉と報道され,この言葉が彼らの思想の名称となった。超越という言葉はカント哲学に由来し,したがって広くドイツ観念論哲学に関係するが,エマソンらのグループではヘッジだけが直接ドイツ観念論に通じており,他はイギリスのS.T.コールリジとT.カーライルの文章を通して観念論に接した。超越主義は悟性や経験を超越して直観によって真理を把握すべきであるという主張を基盤としていた。…
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[伝統的価値観の反撃・対応]
これらの運動は,いずれも民主主義とともに正義を唱えて大衆の政治参加を強く主張し,普通選挙権を求める点で一致していたが,こうした具体的要求を掲げた労働者の戦闘性は,単に支配層ばかりでなく伝統的な価値観一般に対しても深刻な衝撃を与えずにはいなかった。たとえばイギリスで,T.カーライルは,産業化による都市労働者の物質的・精神的貧困に深い同情をもちながらも,大衆の自治能力をどうしても信じられず,チャーチズムを批判して〈民主主義によってかち取られるものは空虚以外の何物でもなく〉,また普通選挙権とは〈国家的おしゃべり大会に討論選手の2万分の1を送り出す権利〉にすぎないとして,大衆にとって真に必要なものは精神的にも物質的にも力ある貴族の指導であるとした。産業化が破壊した古き良き社会と従順な民衆を愛して民主主義に反対したのは,C.ディケンズも同じであった。…
※「カーライル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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