カーライル(読み)かーらいる(英語表記)Thomas Carlyle

デジタル大辞泉 「カーライル」の意味・読み・例文・類語

カーライル(Thomas Carlyle)

[1795~1881]英国の評論家・歴史家。ロマン主義の立場から、功利主義を批判。英雄的指導者による社会の改革、人間性の回復を主張した。著「衣装哲学」「フランス革命史」「過去と現在」など。

カーライル(Carlisle)

英国イングランド北西部、カンブリア州の都市。同州の州都。スコットランドとの境界に近く、古代ローマ時代にハドリアヌスの長城が築かれたほか、スコットランドとの抗争が繰り返され、軍事上の要衝地であった。スコットランド女王メアリー=スチュアートが幽閉されたカーライル城や12世紀に建てられたカーライル大聖堂など、歴史的建造物が多く残っている。

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精選版 日本国語大辞典 「カーライル」の意味・読み・例文・類語

カーライル

  1. ( Thomas Carlyle トーマス━ ) イギリスの思想家、歴史家。ドイツ観念論哲学の流れをくみ、ロマン主義文学に親しむ。著「衣裳哲学」「フランス革命史」「英雄および英雄崇拝」「過去と現在」など。(一七九五‐一八八一

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「カーライル」の意味・わかりやすい解説

カーライル(Thomas Carlyle)
かーらいる
Thomas Carlyle
(1795―1881)

イギリスの評論家、歴史家。12月4日スコットランド、ダンフリーズシャの石工の息子として生まれる。母から読み書きを、父から算数を学んだのち村の小学校に入学したが、7歳にして完全な英語を身につけラテン語を学び始めたという。激しい気性のためしばしば問題を起こしたが、幼くして豊かな学才を示した彼は、1809年14歳のときエジンバラ大学に入学した。初めギリシア語とラテン語を学んだが、やがて彼の関心は数学に向かい、「偉大なるニュートンの足跡をたどることに誇りを感じ」るようになったとは、未完の自伝小説『ウォットン・ラインフレッド』の主人公が述懐するところである。大学卒業後、しばらく学校の教師などをしながらしだいに文学を志すに至るが、『ロンドン・マガジン』に連載した『シラー伝』(1825)が出版されるに及んで、ドイツ・ロマン派の紹介者としての地歩が確立した。1826年スコットランドの女性ジェーン・ウェルシュJane Baillie Welsh(1801―1866)と結婚、たまたまこの女性が優れた書簡の書き手であったことから、この二人の恋文はのちに『T・カーライルとジェーン・ウェルシュの恋愛書簡』2巻(1909)となって残された。

 1834年カーライル夫妻はロンドンのチェルシー地区に居を構え、カーライルはチェルシーの哲人とよばれて、この時代のイギリス思想界に指導的な役割を果たした。それより先『フレイザーズ・マガジン』に連載(1833~1834)した『衣装哲学』によって、ゲーテ、ジャン・パウルなどの影響の濃いロマン主義的宗教観、芸術観が確立したとみられる。これとほぼ並行して執筆中の『フランス革命史』の第1巻の原稿がJ・S・ミルの不注意から焼失した挿話は有名であるが、一方では歴史研究のうちに英雄の存在理由を探り(『英雄および英雄崇拝』1841)、他方、当代の政治や社会状態に深い関心を示した(『チャーティズム』1839、『当世評論』1850など)発言は、今日からみれば明らかにその時代の思潮を脱しきれぬもので、声高の文体や大げさな身ぶりは保守反動の危険な思想家の印象を強くするが、物質主義、功利主義に反対し、魂と意志の力を重んじた彼の人生観、世界観は、当時にあっては警世の力を発揮した。1866年ジェーンの死とともに彼の気力もにわかに衰え、『回想録』(1881)が最後の仕事となった。

[前川祐一 2015年7月21日]

『入江勇起男他訳『カーライル選集』全6巻(1962、1963・日本教文社)』


カーライル(イギリス)
かーらいる
Carlisle

イギリス、イングランド北西部、カンブリア県の県都。人口10万0734(2001)。イーデン川下流平野の中心都市で、鉄道、道路交通の要衝。繊維、機械、食品工業が立地する。スコットランドとの境界までわずか約15キロメートルという戦略上重要な位置のゆえに、ローマ時代や、イングランドとスコットランドとの抗争期には軍都であった。今日も残る1092年築城の城は、スコットランド女王メアリー・スチュアート幽閉(1568)の地。また市の北方にはハドリアヌスの長城の遺跡がある。

[久保田武]


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改訂新版 世界大百科事典 「カーライル」の意味・わかりやすい解説

カーライル
Thomas Carlyle
生没年:1795-1881

イギリスの思想家,歴史家。スコットランドの寒村に生まれ,苦学しながら牧師を志してエジンバラ大学に学んだが,宗教的懐疑に陥り,ゲーテを耽読して懐疑主義を脱したことから文筆の道を志すこととなった。《ウィルヘルム・マイスター》を翻訳,その他ドイツ文学の紹介を雑誌に寄稿していたが,1833-34年,自己の思想的立場の宣明である《衣装哲学》を雑誌に発表。奇想に富むこの作品はなかなか理解されなかったが,ロンドンに出て書いた大作《フランス革命史》(1837)は色彩豊かで生動する叙述により大好評を博した。40年には《英雄崇拝》について講演,その頃から《チャーチズム》(1839),《過去と現在》(1843)などを著して工場労働の非人間性,労働者の悲惨な生活を無視する自由放任主義を痛撃し,大きな影響を与えたが,英雄を待望して民主主義を否定し,独裁的指導者の出現を期待するなどの傾向も現れている。その後も《クロムウェル伝》(1845),《フリードリヒ大王伝》6巻(1858-65)などの大作がある。彼の思想は独創的とはいえないが,伝統的なプロテスタント的良心がロマン的精神主義の形をとって合理主義や機械主義に反対するもので,宗教信仰の動揺に悩む当時のイギリスの知識層に広く迎えられた。日本でも特に明治期に大きな影響を与え,内村鑑三植村正久,新渡戸稲造らのキリスト教徒,高山樗牛,国木田独歩らの文学者に愛読された。
執筆者:


カーライル
Carlisle

イギリス,イングランド北西部,カンブリア州の州都,商工業都市。人口10万3300(2006)。ローマ人の居留地に始まり,ローマの撤退後はその地理的位置ゆえにイングランドとスコットランドの間で争奪の対象となったが,1092年ウィリアム2世が城壁を築き,以後イングランドの北部防衛上の拠点として発達した。12世紀に自治都市としての勅許をうけ,主教座聖堂も建立された。19世紀以降は鉄道網の中心となり,綿工業によって栄えた。主要産業は製粉業,織物業など。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カーライル」の意味・わかりやすい解説

カーライル
Carlisle

イギリスイングランド北西部,カンブリア県の県都。周辺を含めてカーライル地区を構成する。ロンドンの北北西約 430km,スコットランドとの境界近くにあり,イーデン川下流部に臨む。ローマ時代にハドリアヌス長城の西端を守る要塞の近くに形成された集落に始まる町で,4世紀にローマ人に放棄されたのちしばしば領有が変わったが,12世紀半ばイングランド領となり,イングランド北西部の戦略の要地として発展。18世紀末から綿織物工業が発達。ほかに,食品,製菓,機械などの工業がある。1830年代に鉄道が通じて以降,交通の要地でもあり,鉄道,道路が放射状に延びている。風光明媚なレークディストリクト(湖水地方)への入口。地区面積 1040km2。地区人口 10万3500(2004推計)。都市人口 7万1733(2001)。

カーライル
Carlyle, Thomas

[生]1795.12.4. アナンデール,エクルフェカン
[没]1881.2.5. ロンドン
イギリスの著述家,歴史家。石工の息子から身を起し,エディンバラ大学に学ぶ。学校教師を経て文筆を業とし,ドイツ文学を研究,ゲーテに傾倒。宗教的懐疑や,産業主義がもたらす社会問題に悩んだが,ドイツ哲学の影響によって煩悶から抜け出し,超越論的観念論の立場をとるにいたった。ビクトリア朝思想界の一方の雄。エマソンとの交友も有名。主作品『衣装哲学』 Sartor Resartus (1833~34) ,『フランス革命』 The French Revolution (37) ,『英雄および英雄崇拝』 On Heroes,Hero-Worship,and the Heroic in History (41) ,『フリードリヒ大王伝』 The History of Friedrich II of Prussia,Called Frederick the Great (58~65) など。

カーライル(伯妃)
カーライル[はくひ]
Carlisle, Lucy Hay, Countess of

[生]1599
[没]1660
イギリスの貴婦人。9代ノーサンバーランド公ヘンリー・パーシーの娘。 1617年初代カーライル伯ジェームズ・ヘーと結婚。宮廷の才媛として賛美され,王妃ヘンリエッタ・マリアの信任厚く,ストラッフォード (伯)や J.ピムとも親しかった。長老派に共感を寄せていたため,42年の五議員事件に際し,事前にその計画をピムに通報し,国王チャールズ1世の意図を失敗に終らせた。清教徒革命中も長老派を支持し,49~50年投獄された。王政復古後宮廷に戻り,ヘンリエッタ・マリアの帰国に尽力。

カーライル
Carlisle

アメリカ合衆国,ペンシルバニア州南部の都市。州都ハリスバーグの西約 30kmのカンバーランドの谷にある。地名はイギリス北西部の県名とその県都名に由来する。定住開始は 1720年,初期にはインディアンとの紛争が多かった。 18世紀後半には,中西部に向う多くの遠征隊の出発地となった。産業としては,敷物,絨毯,タイル,タイヤ,鋼鋳物,ラジオ部品,紙,繊維,衣料などの製造工業がある。人口1万 7492 (1990) 。

カーライル
Carlisle, John Griffin

[生]1835.9.5. ケンタッキー
[没]1910.7.31.
アメリカの法律家,政治家。 1871年ケンタッキー州副知事。連邦下院議員 (1877~90) ,83年以降下院議長をつとめ,関税改革に活躍し,93~96年財務長官に就任。

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百科事典マイペディア 「カーライル」の意味・わかりやすい解説

カーライル

英国の歴史家,評論家。スコットランドの厳格なカルバン派の石工の家に生まれ,牧師になるつもりでエディンバラ大学にはいったが果たさず,教員をしたのち法律を学んだが弁護士にはならず,文筆生活にはいった。ドイツ文学・哲学の影響を受けて《シラー伝》を書き,ゲーテの《ウィルヘルム・マイスター》の翻訳に次いで《衣装哲学》《フランス革命》を発表。講演をもとにした《英雄崇拝論》(1841年)は日本でも広く読まれた。産業社会の到来と民主主義の台頭を批判してビクトリア朝の人心を叱咤(しった)し予言者的影響力をもった。ほかに《クロムウェルの書簡と演説》《フレデリック大王伝》など。
→関連項目キャメロン土井晩翠

カーライル

英国,イングランド北部,ソルウェー湾に近いカンブリア州の州都。道路,鉄道交通の中心で,紡績,製鉄などの工業もある。ローマ時代のブリタニア支配の基地で,中世にはスコットランドに対する防衛の城塞(じょうさい)であった。12世紀の聖堂がある。7万2000人(2001)。
→関連項目ハドリアヌスの壁

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「カーライル」の解説

カーライル
Thomas Carlyle

1795~1881

イギリスの思想家。スコットランド出身。当初ドイツ文学の紹介者として登場し,独自の思想に彩られた『衣装哲学』で注目を引く。物質尊重と大衆社会状況に反発して,英雄史観に彩られたいくつかの史伝を書き,知識階級に読者を持った。主著に『フランス革命史』『オリヴァー・クロムウェル』など。

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旺文社世界史事典 三訂版 「カーライル」の解説

カーライル
Thomas Carlyle

1795〜1881
イギリス−ヴィクトリア朝期の評論家・思想家
初めドイツ文学を研究,ゲーテを崇拝してその作品をイギリスに紹介。1837年の『フランス革命史』で一躍有名になったのち,英雄崇拝を強調し,また『過去と現在』で人道主義の立場から資本主義を批判した。

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世界大百科事典(旧版)内のカーライルの言及

【衣装哲学】より

…イギリスの思想家カーライルの哲学的・風刺的散文作品。1833‐34年雑誌に連載され,アメリカで36年,イギリスで38年に出版された。…

【英雄崇拝】より

…イギリスの思想家カーライルの哲学的・伝記的論説。1840年6回の連続講演として公にされ,41年出版。…

【クロムウェル】より

… クロムウェルに対する評価は,その死後1世紀ほどは,悪人,野心的偽善者として芳しくないものであったが,19世紀大英帝国の確立とともに,専制君主への抵抗,対外積極政策,ピューリタニズムの諸点で再評価されるようになった。日本においては彼の生涯と業績は,主としてカーライルの《クロムウェルの書簡と演説》(1845)などを通して伝えられ,国王を処刑した〈ピューリタンの英雄〉として,明治時代の一部の知識人の生涯に決定的ともいえる影響を及ぼした。広範な社会活動を展開した小説家木下尚江の出発点には,松本中学の歴史の教室でのクロムウェルとの出会いがあったし,また教育勅語の発布を契機に起こった〈内村鑑三不敬事件〉(1891)の背後には,カーライルの書物を愛読した内村のクロムウェルへの傾倒があり,その後も内村はしばしばクロムウェルの生涯を論じている。…

【トランセンデンタリズム】より

…彼らの討論会が〈超越クラブTranscendental Club〉と報道され,この言葉が彼らの思想の名称となった。超越という言葉はカント哲学に由来し,したがって広くドイツ観念論哲学に関係するが,エマソンらのグループではヘッジだけが直接ドイツ観念論に通じており,他はイギリスのS.T.コールリジとT.カーライルの文章を通して観念論に接した。超越主義は悟性や経験を超越して直観によって真理を把握すべきであるという主張を基盤としていた。…

【民主主義】より


[伝統的価値観の反撃・対応]
 これらの運動は,いずれも民主主義とともに正義を唱えて大衆の政治参加を強く主張し,普通選挙権を求める点で一致していたが,こうした具体的要求を掲げた労働者の戦闘性は,単に支配層ばかりでなく伝統的な価値観一般に対しても深刻な衝撃を与えずにはいなかった。たとえばイギリスで,T.カーライルは,産業化による都市労働者の物質的・精神的貧困に深い同情をもちながらも,大衆の自治能力をどうしても信じられず,チャーチズムを批判して〈民主主義によってかち取られるものは空虚以外の何物でもなく〉,また普通選挙権とは〈国家的おしゃべり大会に討論選手の2万分の1を送り出す権利〉にすぎないとして,大衆にとって真に必要なものは精神的にも物質的にも力ある貴族の指導であるとした。産業化が破壊した古き良き社会と従順な民衆を愛して民主主義に反対したのは,C.ディケンズも同じであった。…

※「カーライル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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