日本大百科全書(ニッポニカ) 「ホーエンツォレルン家」の意味・わかりやすい解説
ホーエンツォレルン家
ほーえんつぉれるんけ
Hohenzollern ドイツ語
プロイセン国王、ドイツ皇帝の家門。源流は西南ドイツ(シュワーベン地方)の貴族ツォレルン家で、同家は1192年ニュルンベルク城伯に封ぜられてフランケン地方にも勢力を得た。1214年ごろシュワーベン系とフランケン系に分かれる。前者はさらにヘッヒンゲン家とジグマリンゲン家に分かれ、ともに19世紀までドイツ諸侯に列したが、1849年に両家ともその領邦主権をフランケン系から発展したプロイセン系に移譲した。他方フランケン系はニュルンベルク城伯としてさらにアンスバハとバイロイトを領したが、1415年に同家のフリードリヒ1世がブランデンブルク辺境伯および選帝侯に任ぜられて(授封は1417年)、新たにブランデンブルク系ホーエンツォレルン家が創始される。なお、同じフランケン系のアルブレヒトが1511年にドイツ騎士団長に選ばれるが、彼は25年宗教改革を行ってプロイセン公となった。彼の死後1618年に義子のブランデンブルク選帝侯ヨハン・ジギスムントがプロイセン公国を相続し、ブランデンブルクとプロイセンがホーエンツォレルン家の下に統合される。同家はフリードリヒ3世(国王としては1世)の代にプロイセン国王位を得(1701)、ウィルヘルム1世の代にドイツ皇帝位を得た(1871)が、1918年11月最後の皇帝ウィルヘルム2世が革命により退位して、君主の家門としてのホーエンツォレルン家の歴史は終わる。
[坂井榮八郎]