ペルディギエ(その他表記)Agricol Perdiguier

改訂新版 世界大百科事典 「ペルディギエ」の意味・わかりやすい解説

ペルディギエ
Agricol Perdiguier
生没年:1805-75

フランスの指物師で組合運動家。アビニョンに指物職人の子として生まれ,みずからもその修業のために18歳半ばでフランス巡歴の旅に出た。模範的成果をもって終了した4年半の巡歴の間に,コンパニョナージュの諸組織が対立しあい,つぶしあうのを見た彼は,それらの対立を和解させ,協調した組織をつくることを一生の課題と決め,1829年パリにのぼる。職人の相互扶助と技術教育の場としてのコンパニョナージュを再興し,労働者・職人の状態改善をはかろうと,彼は独学で身につけた高い知性をもとに,みずから歌をつくり,パンフレットを作成した。1839年に公刊した《コンパニョナージュの本》を持ち,考えを広めるための巡歴に出た彼は,しかし秘密性に固執する職人からは歓迎されなかった。仲間職人の世界は,それまで謎と秘密に閉ざされていた。だがその独自の歴史を公に説いたこの本の増補第2版が1841年に出されると,ユゴーやサンドら文学者の間にも大反響をよぶ。やがて仲間職人の聖書となった同書は,のちに亡命地スイスで出された回想録とならんで,今日でも第一級の史料価値をもつ。組織再興を説く彼の善意は二月革命期に支持され,コンパニョンの合同組織はこの革命に積極的に加わり,また彼はセーヌ,ボクリューズ両県から議員に選出された。ルイ・ナポレオンのクーデタ後,共和左派として一時亡命,1856年に帰国したが,その後の新しい傾向の労働運動にはなじまなかった。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

関連語 福井

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む