ポツダム協定(読み)ぽつだむきょうてい(英語表記)Potsdam Agreement

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ポツダム協定」の意味・わかりやすい解説

ポツダム協定
ぽつだむきょうてい
Potsdam Agreement

米英ソ三国政府首脳によるポツダム会談(1945.7.17~8.2)で約定された国際協定。協定の内容は、(1)平和条約を扱う外相理事会(アメリカ、イギリスソ連フランス、中国の五か国で構成)の設置、(2)ドイツに対する処理原則、(3)ドイツからの賠償、(4)戦争犯罪人の裁判、(5)オーストリア問題およびポーランド問題、(6)イタリア、ブルガリアフィンランドハンガリーおよびルーマニアとの平和条約、(7)在外ドイツ人の移送、(8)イランからの撤兵など多岐にわたっている。これらのうちでもとくに重要なのは対ドイツ戦後処理に関するものであり、普通、ポツダム協定とはこの部分をさしていう。

 この意味でのポツダム協定は、占領管理初期のドイツに適用されるべきものとして、次の諸原則を定めている。(1)完全な武装解除および非軍事化、(2)軍国主義ナチズム根絶、(3)独占組織の形をとった経済力の過度の集中の排除、(4)戦争潜勢力の除去、(5)ヒトラー政権の基礎となったナチスのいっさいの法律の廃止、(6)ドイツ国民の生活の民主主義的再建、(7)政治機構の地方分権化と地方責任制。会談中とくに争われたドイツ賠償問題とドイツ領土処理につき、協定は、西側諸国はその占領地帯から賠償を取り立て、ソ連は自己の占領地帯から得るもののほか、追加として西側占領地帯から取り立てられるものの25%を受け取ること、オーデル・西ナイセ川(オーデル‐ナイセ・ライン)以東の旧ドイツ領は、ソ連に譲渡されるケーニヒスベルク市とその隣接地域を除き、ポーランドの施政下に置かれること、ただしその最終的画定は平和解決をまたなければならないことを定めた。このほかにも協定は、当分の間ドイツ中央政府を設けない、ただし占領期間中ドイツを単一の経済単位として扱う、など重要な規定を含んでいる。

[深谷満雄]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ポツダム協定」の意味・わかりやすい解説

ポツダム協定
ポツダムきょうてい
Potsdam Agreement

1945年7~8月に開かれた米英ソ首脳によるポツダム会談で第2次世界大戦後のドイツの処理問題を討議した結果,同年8月2日に決定されたドイツの占領統治方式を明らかにした協定。この協定に基づくドイツの占領統治方式をポツダム方式と呼ぶ。協定のおもな内容は非ナチス化,武装解除,非軍事化,戦犯裁判,財閥解体,連合国共同管理などである。ヤルタ会談およびポツダム協定に基づいてドイツはオーデル,ナイセ両川以東の東プロシアをポーランドに割譲し,残りはアメリカ,イギリス,フランス,ソ連の分割占領にゆだねられた。ベルリンは4国共同管理とされた。

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世界大百科事典(旧版)内のポツダム協定の言及

【第2次世界大戦】より

…7月17日から8月2日までポツダムで最も長い3国首脳会談が開かれた(ポツダム会談)。中心となった問題はドイツの処理問題であり,分割占領・非軍事化・民主主義的政治体制については合意したものの,賠償の問題と統一ドイツ政府の問題では決着をみず,妥協の結果ポツダム協定が締結された。その他の問題も協議されたが,ほとんどめぼしい成果はないまま終わった。…

※「ポツダム協定」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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