マルチナヒンギス(英語表記)Martina Hingis

最新 世界スポーツ人名事典 「マルチナヒンギス」の解説

マルチナ ヒンギス
Martina Hingis
テニス

テニス選手
生年月日:1980年9月30日
国籍:スイス
出生地:コルチェ
経歴:名前のマルチナはナブラチロワ(米国)にちなんだもの。チェコ女子テニス界の元王者の母の影響で2歳からテニスを始める。8歳でスイスに移住。1993年4大大会史上最年少の12歳で全仏オープン・ジュニア優勝、天才少女といわれた。’94年全仏オープン、全英オープン(ウィンブルドン)のジュニアを制し、10月14歳と14日でプロに転向、ツアー参戦8ケ月でランク19位まで上昇した。’95年全米オープンで4回戦進出、ランキングは16位に。’96年全豪オープンでは大会最年少でベスト8入りを果たす。6月のイタリアオープンでは準決勝でシュテフィ・グラフ(ドイツ)を破り準優勝。7月ウィンブルドン・ダブルスを15歳282日の同大会史上最年少で優勝。9月全米オープンでベスト4に進出。10月ポルシェ・グランプリでツアーのシングルス初優勝。’97年1月全豪オープンで4大大会シングルス史上最年少初優勝。またナターシャ・ズベレワ(ベラルーシ)と組みダブルスでも優勝し、マルチナ・ナブラチロワ以来12年ぶりの単複2冠となった。2月東レ・パンパシフィックオープン初優勝。3月初めてシングルスの世界ランキングが1位となる。7月ウィンブルドン・シングルスを男女を通じて大会最年少で初優勝、9月には全米オープンも制した。11月年間成績75勝5敗を記録、最年少でWTA年間ランキング1位とツアーMVPを獲得。’98年1月全豪オープンで単複連覇、2月東レ・パンパシフィックオープン・ダブルス優勝、6月全仏オープン・ダブルスで優勝し、ダブルスの世界ランキングが1位に。7月ウィンブルドン・ダブルス優勝、9月全米オープン・ダブルスで優勝し、ダブルスの年間グランドスラムを達成。同年のWTA最終ランキングはリンゼイ・ダベンポート(米国)に敗れ2位。’99年全豪オープン単複3連覇。2月史上最年少の18歳で生涯獲得賞金が10億円を突破。2000年2月東レ・パンパシフィックオープン・シングルスで2年連続優勝、ダブルスでも優勝、7年ぶり4人目の単複優勝となる。6月全仏オープン・ダブルスでマリー・ピエルス(フランス)と組み初優勝。2001年1月全豪オープン準々決勝、準決勝で同一大会では初めてウィリアムズ姉妹(米国)を撃破するが決勝でジェニファー・カプリアティ(米国)にストレートで敗れる。2002年1月全豪オープン・ダブルスでアンナ・クルニコワ(ロシア)と組み3年ぶり2度目の優勝、シングルスは準優勝。同年度重なる足の故障により引退表明するが、2006年復帰し、1月オーストラリア・ハードコート選手権ベスト4。全豪オープンはシングルスベスト8、混合ダブルスでマヘシュ・ブパシ(インド)と組み優勝。5月イタリアオープンで4年3ケ月ぶりのツアー優勝。2007年2月東レ・パンパシフィックオープン・シングルスで5度目の優勝を遂げる。11月、ウィンブルドンでのドーピング検査コカインの陽性反応が検出されたことを明らかにし、現役引退を表明。170センチ、57キロ。チェコ語、英語、ドイツ語、ロマンス語を話す。2013年南カリフォルニアオープンのダブルスで競技に復帰。同年国際テニス殿堂入り。2010年フランスの馬術選手と結婚。

出典 日外アソシエーツ「最新 世界スポーツ人名事典」最新 世界スポーツ人名事典について 情報

現代外国人名録2016 「マルチナヒンギス」の解説

マルチナ ヒンギス
Martina Hingis

職業・肩書
テニス選手

国籍
スイス

生年月日
1980年9月30日

出生地
チェコスロバキア・コルチェ(スロバキア)

経歴
名前のマルチナは女子テニス界の名選手マルチナ・ナブラチロワ(米国)にちなんだもの。チェコ女子テニス界の元王者の母の影響で2歳からテニスを始める。8歳でスイスに移住。1993年4大大会史上最年少の12歳で全仏オープン・ジュニアに優勝、天才少女といわれた。’94年全仏オープン、全英オープン(ウィンブルドン)のジュニアを制し、10月14歳と14日でプロに転向、ツアー参戦8ケ月でランク19位まで上昇した。’95年全米オープンで4回戦進出、ランキングは16位に。’96年全豪オープンでは大会最年少でベスト8入りを果たす。6月のイタリアオープンでは準決勝でシュテフィ・グラフ(ドイツ)を破り準優勝。7月ウィンブルドン・ダブルスを15歳282日の同大会史上最年少で優勝。9月全米オープンでベスト4に進出。10月ポルシェ・グランプリでツアーのシングルス初優勝。’97年全豪オープンで4大大会シングルス史上最年少初優勝。またズベレワ(ベラルーシ)と組みダブルスでも優勝し、ナブラチロワ以来12年ぶりの単複2冠となった。3月初めてシングルスの世界ランキングが1位となる。ウィンブルドン・シングルスは男女を通じて大会最年少で初優勝、全米オープンも制した。この年、最年少でWTA年間ランキング1位とツアーMVPを獲得。’98年全豪オープン単複連覇、全仏オープン・ダブルス優勝、ウィンブルドン・ダブルス優勝、全米オープン・ダブルス優勝で、ダブルスの年間グランドスラムを達成。’99年全豪オープン単複3連覇。2000年全仏オープン・ダブルス優勝。2002年全豪オープン・ダブルスで3年ぶり2度目の優勝、シングルスは準優勝。同年度重なる足の故障により引退を表明するが、2006年復帰し、全豪オープンはシングルスベスト8、混合ダブルス優勝。5月イタリアオープンで4年3ケ月ぶりのツアー優勝。2007年2月東レ・パンパシフィックオープン・シングルスで5度目の優勝を遂げる。同年11月、ウィンブルドンでのドーピング検査でコカインの陽性反応が検出されたことを明らかにし、現役引退を表明。2013年南カリフォルニアオープンのダブルスで競技に復帰。同年国際テニス殿堂入り。2015年全豪オープン混合ダブルス、ウィンブルドン女子ダブルスと混合ダブルス、全米オープン女子ダブルスと混合ダブルスで優勝。170センチ、57キロ。チェコ語、英語、ドイツ語、ロマンス語を話す。2010年フランスの馬術選手と結婚。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

知恵蔵mini 「マルチナヒンギス」の解説

マルチナ・ヒンギス

スイスの女子プロテニス選手。1980年9月30日、チェコスロバキア(現スロバキア)生まれ。93年、12歳にして全仏オープンジュニア女子シングルスで優勝。94年、14歳でプロデビューし、女子テニス協会「最優秀新人賞」を受賞。97年には、4大大会の一つ「全豪オープン」優勝と世界ランキング1位の最年少記録を打ち立てる。2002年の「ポルシェ・テニス・グランプリ」で2回戦敗退。これを機にツアーから離れ、03年、現役引退を表明したが、06年より再度、現役復帰。「全豪オープン」で準々決勝まで進み、ダブルスでは優勝を果たした。07年11月、「ウィンブルドン選手権」出場後にコカイン陽性反応を指摘され、本人は否定したものの引退を表明。国際テニス連盟は、07年ウィンブルドン以降の大会すべてを失格扱いとするなどの処分を下した。13年3月4日、「国際テニス殿堂」は、同年の殿堂入り表彰者に同選手を を選出。

(2013-3-7)

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367日誕生日大事典 「マルチナヒンギス」の解説

マルチナ ヒンギス

生年月日:1980年9月30日
スイスのテニス選手

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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