改訂新版 世界大百科事典 「マンナイ」の意味・わかりやすい解説
マンナイ
Mannai
前1千年紀前半,古代のアゼルバイジャンに最初の国家を建設した民族。前829年,アッシリアの遠征記録に初めて言及される。その後ウラルトゥの攻撃を繰り返し受けたが,抵抗を続けるなかで前8世紀に統一王国を実現し,前715年にはアッシリアのサルゴン2世と協力してウラルトゥを撃退した。首都イジルトゥIzirtuはウルミエ(レザーイエ)湖の南方にあり,南アゼルバイジャンのほぼ全域を支配した。よく灌漑されたザーグロスの山間河谷とウルミエ湖平野は,穀物とブドウの栽培,馬の飼育に適し,金属工芸の発達がみられた。前7世紀に入るとスキタイやメディアと連合してアッシリアと戦ったが,前660年の敗北から再びアッシリアとの協力関係に戻った。しかし,イラン高原の情勢変化に伴い,前615年ころメディアに服属し,前590年ころ併合された。マンナイ国内の主要遺跡としてハサンルー,ジビエがある。
執筆者:佐藤 進
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報