ミハエル シューマッハー(英語表記)Michael Schumacher

  • F1

最新 世界スポーツ人名事典の解説

F1ドライバー
生年月日:1969年1月3日
国籍:ドイツ
出生地:ノルトライン・ウエストファーレン州ヒュルト・ヘルミュルハイム
経歴:4歳からカートに乗り始め、1983年初めてカートのレースに出場、’84年、’85年ドイツジュニア選手権優勝、’85年世界ジュニア選手権2位。若い頃からメルセデス・ベンツで英才教育を受ける。’89年F3に参戦。’90年ドイツF3でシリーズ・チャンピオンになり、“F3世界一決定戦”ともいえるマカオGP、富士インターF3を制した。’91年8月ベルギーGPでジョーダンからスポット参戦してF1デビュー。続くイタリアGPでベネトンに移り、デビュー2戦目にして5位入賞。’92年5月10戦目で2位入賞を果たし、9月ベルギーGPで初優勝、同年のF1シリーズ総合3位。’93年総合4位。’94年に8勝し、ドイツ人初の年間総合王者となる。’95年9勝をマークし(年間最多記録タイ)、2年連続総合優勝(2年連続は史上最年少)。’96年名門フェラーリへ移籍。同年3勝で総合3位。’97年5勝するが、最終戦の欧州GPでジャック・ビルヌーブ(カナダ)に接触、国際自動車連盟より’97年シーズンの総合成績抹消のペナルティが言い渡される。’98年6勝し、総合2位。’99年7月英国GPで骨折、同年は2勝で総合3位。2000年10月日本GPで5年ぶり3度目の総合優勝を決める(同年9勝)。2001年3月マレーシアGPで史上初の6戦連続ポール・ツー・ウインを獲得。同年8月ハンガリーGPで2年連続総合優勝を決め、9月ベルギーGPでアラン・プロスト(フランス)の持つ通算最多勝記録を更新する52勝目を挙げる(同年9勝)。2002年7月フランスGPで史上最速の3年連続総合優勝を決め、5度目の年間総合王者となる。同年10月最終戦の日本GPで年間最多勝利数を11に伸ばし、17戦全戦で表彰台に立つ史上初の偉業を達成。2003年史上初の通算6度目の総合優勝を飾る(同年6勝)。2004年史上初の5連覇、通算7度目の総合優勝を達成(同年13勝)。2005年は1勝に終わり、総合3位。2006年4月サンマリノGP(イタリア)で単独最多の通算66度目のポールポジション(PP)を獲得。同年は7勝して総合2位になったが、10月のブラジルGPを最後に現役を引退。フェラーリの復活に大きく貢献した。2009年7月古巣フェラーリのフィリペ・マッサ(ブラジル)がハンガリーGP予選で頭部を骨折、マッサ復帰までの代役として期間限定でF1に電撃復帰することを表明したが、首の痛みのため断念。2010年メルセデスと3年契約を結び、4年ぶりにF1に復帰。同年総合9位。2011年総合8位。2012年再度の引退を表明、総合13位でシーズンを終えた。年間王者7回・通算91勝は歴代最多で、圧倒的な強さから“皇帝”と称された。弟ラルフもトヨタの元F1ドライバー。1995年元モデルと結婚。2005年スマトラ沖地震の際には被災地に1000万ドルを寄付した。173センチ、74キロ。

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367日誕生日大事典の解説

生年月日:1969年1月3日
ドイツの元・F1ドライバー

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現代外国人名録2016の解説

職業・肩書
元F1ドライバー

国籍
ドイツ

生年月日
1969年1月3日

出生地
西ドイツ・ノルトライン・ウェストファーレン州ヒュルト・ヘルミュルハイム(ドイツ)

経歴
4歳からカートに乗り始め、1983年初めてカートのレースに出場、’84年、’85年ドイツジュニア選手権優勝、’85年世界ジュニア選手権2位。若い頃からメルセデス・ベンツで英才教育を受ける。’89年F3に参戦。’90年ドイツF3でシリーズ・チャンピオンになり、“F3世界一決定戦”ともいえるマカオGP、富士インターF3を制した。◆◆’91年8月ベルギーGPでジョーダンからスポット参戦してF1デビュー。続くイタリアGPでベネトンに移り、デビュー2戦目にして5位入賞。’92年5月10戦目で2位入賞を果たし、9月ベルギーGPで初優勝、同年のF1シリーズ総合3位。’93年総合4位。◆◆’94年に8勝し、ドイツ人初の年間総合王者となる。’95年9勝をマークし、2年連続総合優勝。◆◆’96年名門フェラーリへ移籍。同年3勝で総合3位。’97年5勝するが、最終戦の欧州GPでジャック・ビルヌーブ(カナダ)に接触、国際自動車連盟より’97年シーズンの総合成績抹消のペナルティが言い渡される。’98年6勝で総合2位。’99年7月英国GPで骨折、同年は2勝で総合3位。2000年9勝で3度目の総合優勝。◆◆2001年3月マレーシアGPで史上初の6戦連続ポール・ツー・ウインを獲得。同年8月ハンガリーGPで2年連続総合優勝を決め、9月ベルギーGPでアラン・プロスト(フランス)の持つ通算最多勝記録を更新する52勝目を挙げる(同年9勝)。2002年7月フランスGPで史上最速の3年連続総合優勝を決め、5度目の年間総合王者となる。17戦全戦で表彰台に立つ史上初の偉業を達成。2003年6勝で6度目の総合優勝。2004年は13勝で史上初の5連覇、通算7度目の総合優勝。◆◆2005年は1勝に終わり、総合3位。2006年4月サンマリノGP(イタリア)で単独最多の通算66度目のポールポジション(PP)を獲得。同年は7勝して総合2位になったが、10月のブラジルGPを最後に現役を引退。フェラーリの復活に大きく貢献した。◆◆2009年7月古巣フェラーリのフィリペ・マッサ(ブラジル)がハンガリーGP予選で頭部を骨折、マッサ復帰までの代役として期間限定でF1に電撃復帰することを表明したが、首の痛みのため断念。◆2010年メルセデスと3年契約を結び、4年ぶりにF1に復帰。同年総合9位。2011年総合8位。メルセデスでは1度も優勝できずに2012年再度の引退を表明、総合13位でシーズンを終えた。年間王者7回・通算91勝は歴代最多で、圧倒的な強さから“皇帝”と称された。◆2013年12月フランス・アルプスのスキー・リゾート地メリベルでスキー中、転倒事故に遭い、脳挫傷により意識不明の重体に陥る。その後、意識を回復し、現在は自宅で療養する。◆◆弟ラルフもトヨタの元F1ドライバー。◆◆173センチ、74キロ。

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