改訂新版 世界大百科事典 「メウレウィー教団」の意味・わかりやすい解説
メウレウィー教団 (メウレウィーきょうだん)
Mevlevī
トルコの神秘主義教団(タリーカ)。マウラウィー教団ともいう。この名は開祖ルーミー(1207-73)の尊称マウラーナーmawlānā(我らが導師)に由来する。初めアナトリアの古都コニヤを中心とする小教派であったが,15世紀前半,オスマン朝ムラト2世のころから歴代スルタンの庇護を受け,オスマン帝国内の有力教団として拡大した。その教義の最大の特徴は,キリスト教をも包摂する寛容さにあり,プラトン哲学の影響も認められる。民衆の間からしだいに社会上層部に支持層が上昇し,洗練された学問・芸術の母体となった。キリスト教との類似をみせる厳格な儀式をもっており,とくに音楽に合わせて集団をなして旋回するジクル(サマーとも呼ばれる)はよく知られ,西欧での別称〈踊る(旋舞する)デルウィーシュDancing(Whirling) Derwishes〉はこれに由来する。1925年,他の神秘主義教団とともにその修道場(テッケ)は閉鎖されたが,社会の各層になお根強い支持者を有している。
執筆者:小山 皓一郎
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