日本大百科全書(ニッポニカ) 「モヘンジョ・ダーロ」の意味・わかりやすい解説
モヘンジョ・ダーロ
もへんじょだーろ
Moenjo-daro
インダス文明の代表的都市遺跡の一つ。パキスタン南部シンド地方ラールカナー地区にあり、カラチの北北東約290キロメートル、インダス川右岸に位置する。1922年R・D・バナルジーが初めて発掘して以来、J・H・マーシャル、E・J・H・マッケイ、第二次世界大戦後はパキスタン考古局やG・F・デイルズらが発掘を行った。都市の範囲は周4キロメートル近くにも及び、文化層の埋積は、所によっては22メートル以上も確認されている。下層は地下水位下にあって発掘が困難であるが、シンド地方の初期の文化展開を知るためにも重要な遺跡である。この遺跡は1980年に世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。
都市全体は西側の小高い城塞(じょうさい)部と、東側の低くて広大な市街地に分けられる。城塞部は高さ10メートルほどの基壇をもち、外側には城壁を巡らしている。その内側には大建造物群が密集しているが、なかでも城塞中央部に位置する大沐浴(もくよく)場が目を引く。水槽部のみで12メートル×7メートルの規模のもので、南北から降りられるように階段がついている。底は天然瀝青(れきせい)で固めてあり、人の背丈より高い排水溝もある。その西側に隣接して大規模な穀物倉があるが、高いれんが積みの基壇には通風溝が幾条も設けられている。その上に木造建築が建っていたのであろうが、いまは失われている。そのほか、僧院の跡と思われる遺構や、柱を連ねた集会堂の跡もある。概して建物の造りはよく、この城塞部が、モヘンジョ・ダーロのみならず、インダス文明全体にとって重要な政治、経済的(またおそらくは宗教的)中枢をなしていたことに疑いはない。
東側に広がる市街地は、ほぼ東西南北に走る幅8メートル近い大通りによって幾つかのブロックに分けられており、さらに中・小路によって碁盤目状に区画されている。大きな家は中庭に井戸を備え、また各戸からの排水は、やがて大通りの本下水道へと暗渠(あんきょ)によって導かれている。概して豊かで安定した都市生活のようすが見て取れるが、そのみごとな都市計画性は、ふんだんな焼成れんがの使用とともに、他文明に類をみない。
[小西正捷]