モルドヴァ(その他表記)Moldova

翻訳|Moldova

山川 世界史小辞典 改訂新版 「モルドヴァ」の解説

モルドヴァ
Moldova

ルーマニア北東部,東カルパティア山脈以東の地域。歴史的にはルーマニア北東部からモルドヴァ共和国にかけて存在したモルドヴァ公国領。前1世紀ダキア人が王国を築いたが,106年ローマに滅ぼされた。ローマの属州には含まれず民族移動期を迎える。1359年ボグダン(在位1359~65)がモルドヴァ公国を建国。14世紀末ポーランドの宗主権を認めたが,1456年以降オスマン帝国の宗主権下に入った。シュテファン大公(在位1457~1504)は一時独立を果たしたが,オスマン帝国は支配を強め,1709~1821年ファナリオティス出身の公の統治下に入った。1821年エテリア蜂起は鎮圧されたが,29年以降ロシアの保護下に近代的制度改革が進められた。1848年の革命の失敗後ワラキア公国との統一をめざす動きが活発化し,59年統一。

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旺文社世界史事典 三訂版 「モルドヴァ」の解説

モルドヴァ
Moldova

黒海北西部のウクライナとルーマニアに接する地域および共和国の名称。首都キシニョフ
かつてベッサラビアと呼ばれ,14世紀にモルダヴィア公国が創立され,16世紀にオスマン帝国の支配下にはいった。18世紀後半からオスマン帝国とロシアの係争地となり,クリミア戦争以降(1856)ワラキアと合併し,ルーマニアに編入される。しかし,第一次世界大戦後,ソ連はこれに反対して,ウクライナ共和国の一部にモルダヴィア自治共和国をつくり,1940年にベッサラビアと北ブコビナをルーマニアから奪い,自治共和国の一部と合わせてモルダヴィア社会主義共和国とし,ソ連の構成国となった。ソ連末期の1991年5月,国名をモルドヴァ共和国に変更し,8月に独立を宣言,12月に独立国家共同体(CIS)創設協定に調印。1992年3月国連に加盟。しかし,国内にルーマニア系モルドヴァ人とロシア系住民との民族対立を抱えている。

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