山川 世界史小辞典 改訂新版 「1848年の革命」の解説
1848年の革命(せんはっぴゃくよんじゅうはちねんのかくめい)
1848年,フランス,ドイツ,オーストリア,ハンガリー,イタリアなどに起こった諸革命。相互に密接な関係を持ち,全体として自由主義,民族主義の旗印のもとにウィーン体制を打倒しようとした市民的革命運動であったが,他方産業革命の進行に対応し,社会主義的民衆革命の方向も示した。こうして1848年の革命は,地域的にも,また運動の方向においても,複合的革命になった。個別的にはフランスの二月革命,ドイツ,オーストリアの三月革命のほか,イタリア各地の革命,またオーストリア領内諸民族の独立運動もあった(「諸国民の春」)。ハンガリーはコシュートの指導下に独立政権を樹立,ボヘミアではスラヴ民族がパン・スラヴ会議に結集した。イタリアでは二月革命に先立ちナポリに革命が起こって憲法が発布されていたが,二月革命の影響で中部イタリア諸国も憲法を獲得,さらにウィーンの革命はオーストリア領のヴェネツィア,ロンバルディアに革命運動を引き起こし,サルデーニャはイタリアを統一すべくオーストリアと開戦した。しかしオーストリアに対する諸民族の闘争は,相互に協力を欠き,オーストリア軍によって順次個別的に鎮圧された。頑強に抵抗したハンガリーの独立政権も,49年8月ロシア,オーストリアの連合軍によって打倒された。ロシアはオーストリアの反革命勢力を援助し,ドイツの統一をも阻害した。他方イギリスはドイツ,イタリアの革命運動に好意的であったが,直接介入はしなかった。イタリアではサルデーニャが49年3月オーストリアに敗れたのち,ローマとヴェネツィアのみ共和政権を樹立して抵抗し続けたが,マッツィーニが指導したローマ共和国は49年6月,イタリアに介入したルイ・ナポレオンのフランス軍によって制圧され,8月にはヴェネツィアもオーストリアに屈服した。イタリアとドイツでは旧体制が復活し,フランスの第二共和政も52年第二帝政の成立で終わった。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報