ペルー生まれのアメリカの歌手、作曲家、パフォーマー。リマで生まれる。母親、祖父も歌手で、祖母はコンサート・ピアニストという環境で4歳から音楽の勉強を始める。子供のころはニューヨークに住み、その後コネティカット州に移る。13~14歳のころから声楽のレッスンを始める。ペンシルベニア州のジョージ・スクールで音楽理論や作曲を学んだのち、ニューヨークのサラ・ローレンス大学で「総合上演芸術プログラム」を専攻。中学・高校ではフォーク・ミュージックを歌い、その後はロック・バンドでも歌っていたことがある。
モンクは1964年以来、マンハッタンのダウンタウンを根拠地として活動する。ジョイス劇場(ニューヨーク)では劇作家のピン・チョンPing Chong(1946― )と「紀行シリーズ」(1972~76)を発表。ホイットニー・アメリカ美術館ではビデオによる回顧展でサウンド・インスタレーション『シルバー・レーク・ウィズ・ドルメン・ミュージック』を展示(1981)。ミュージシャンのデビッド・バーンDavid Byrne(1952― )監督の映画『トゥルー・ストーリーズ』(1986)の音楽と振付けを担当。また、ボブ・ローゼンBob Rosenとアンドレア・シモンAndrea Simonのフィルム『ファイユームの肖像』(1988)に音楽をつけ、ブルックリン・アカデミー・オブ・ミュージックにおける「ネクスト・ウェーブ・フェスティバル」では『デュエット・ビヘイビア』『リンギング・プレイズ』(ともに1987)を上演。さらに88年タウン・ホールでピアニストのヌリット・ティルズNurit Tillesとともに、歌とピアノのデュオ・コンサートを開いている。また、アメリカン・シアター・フェスティバルのための作品や、ヒューストン・グランド・オペラなど、多数の発表作品がある。
彼女は歌、振付け、作曲と多くのことを1人でこなす。映画でも独立した作品として脚本を書き、作曲をするとともに、監督も行う。チョンとの共同制作の映画『エリス島』(1981)、ビデオ作品『パリ』(1982)はそれぞれ、いくつかの賞を受けるとともにPBS(公共放送網)で全国に放送された。また、映画『ブック・オブ・デイズ』Book of Days(1988)はPBSとヨーロッパのテレビでも放送された。
モンクは透明な美しさを備えるソプラノの発声とともに、ささやき声、うめき声、声門閉鎖音、サイレンのような叫び声、倍音、その他多様な声をもつ。彼女は、書き終えた楽譜を演奏するのではなく、画家や振付け師のようにモチーフを用意し、そのモチーフを何度も繰り返し歌い、そのなかで膨らませて、作品を制作してゆく。彼女の音楽は、ポピュラー音楽や民族音楽に深く根ざしており、また、そのなかには女性独特のウィットやユーモアがみられる。多様な才能をもつ彼女は、現代の音楽界でも特異な存在であるが、世界中に多くのファンをもつ。単に1人のボイス・パフォーマーにとどまることなく、その発声やプロジェクトを集団的に実現できる才能ももち合わせている。
受賞歴も多く、ブランダイス創造芸術賞、『オペラ エピック 聖人』(1971)、『オペラ 石切り場』(1976)および継続的な業績に対してオービー賞、ベッシー賞、『オペラ 近代の廃墟』(1979)と『キャバレー、亀の夢』(1984)に対するビレンジャー賞、ASCAP賞、アルバム『ドルメン・ミュージック』(1981)と『近頃の婦人、バンガード・テープ』(1986)に対するドイツ批評家ベスト・レコード賞などを受賞。
[小沼純一]
イギリスの軍人、政治家。ピューリタン革命の収拾に尽力し、王政復古を実現した。デボンシャーに生まれる。バッキンガム公のカディス(スペイン)遠征をはじめとして数多くの戦争に参加し、その武勲によって勇名をはせた。革命が始まると王党派に加わって戦ったが、捕らえられて議会派のもとでアイルランド、スコットランドの遠征に加わる。さらに海軍提督として第一次イギリス・オランダ戦争を勝利に導き、1654年にはクロムウェルの信任を得てスコットランド総督に就任した。クロムウェルの死後も共和政の存続に努力したが、中央政府の混乱に乗じてイングランドおよびスコットランドの全軍隊の司令官に就任した。そして1660年2月3日ロンドンに入り、ランプ議会への長老派議員の復帰を認めるとともに、王政復古を不可避のものとして受け入れ、その準備を整えた。その後も軍人としてイギリス・オランダ戦争に参加したが、ふたたび脚光を浴びることなく1670年に没した。(書籍版 1988年)
[小泉 徹]
アメリカのジャズ・ピアノ奏者、作曲家。ノース・カロライナ州生まれ。4歳のときニューヨークに移住。17歳でプロ入りし、1940年にクラブ「ミントンズ」の専属となり、ビ・バップの創造者チャーリー・パーカーやデージー・ガレスピーらと共演したが、やがて自身の創意による特異なハーモニー、リズム感などでオリジナルなスタイルを確立した。偉大なモダン・ジャズのパイオニアの一人で、代表作に『ラウンド・ミッドナイト』『ストレート・ノー・チェイサー』ほか多くの名曲がある。
[青木 啓]
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アメリカの黒人ジャズ・ピアニスト。ノース・カロライナ州に生まれ,4歳のとき両親とともにニューヨークに移住。11歳のときからピアノを習い,アポロ劇場のアマチュア・コンテストで何度か優勝,17歳でプロとなり,1940年〈ミントンズ・プレイハウス〉の専属ピアニストとなり,モダン・ジャズ開拓者の一人となった。重要レコードのいくつかを吹き込んだにもかかわらず,彼の存在が注目されたのは57年J.コルトレーンを含むカルテットで〈ファイブ・スポット〉に出演してからである。伝統的なハーレムのピアノ奏法から,すぐれた和音感覚で音を間引きしたそのスタイルは,新しいジャズとして大きな影響を残した。代表レコードは《ブリリアント・コーナーズ》《セロニアス・ヒムセルフ》(ともにリバーサイド)ほかCBS,フランス・ヴォーグにある。
執筆者:油井 正一
イギリスの軍人。王政復古に多大の貢献をなした。青年期には大陸を歴戦し,1639年帰国。ピューリタン革命の内乱には国王軍に参加したが,44年敗れてロンドン塔に投獄され,のち議会側に転向した。アイルランド,スコットランドへの遠征でクロムウェルの信任を得て,51年スコットランド軍総司令官となる。対オランダ戦争においては艦隊を指揮。60年クロムウェル政権崩壊後の混乱の中を軍を率いてロンドンに入り,亡命中のチャールズ2世と交渉,仮議会を召集して王政復古の準備を整えた。その功により公爵となり,第2次対オランダ戦争でも艦隊司令官として活躍した。
執筆者:今井 宏
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