パーカー(読み)ぱーかー(英語表記)Dorothy Parker

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「パーカー」の意味・わかりやすい解説

パーカー
Parker, Alan

[生]1944.2.14. ロンドン
[没]2020.7.31. ロンドン
イギリスの映画監督,脚本家,プロデューサー。幅広いジャンルの作品を手がけ,代表作に『ミッドナイト・エクスプレス』(1978),『フェーム』(1980)などがある。広告コピーライター,テレビコマーシャルディレクターとして働いたのち,アラン・マーシャルと制作会社を設立し,テレビ短編映画を制作。1976年には初の長編映画『ダウンタウン物語』を脚本・監督。次作『ミッドナイト・エクスプレス』は,麻薬所持によりトルコで逮捕されたアメリカ人観光客を描いたスリラーで,高い評価を得てアカデミー賞にノミネートされた。その後も,ニューヨークの舞台芸術高校に通う生徒を主人公にした大ヒット作『フェーム』,ロックバンドのアルバムをモチーフにしたミュージカル『ピンク・フロイド ザ・ウォール』(1982),1964年に公民権運動家 3人が殺害された事件を描いた『ミシシッピー・バーニング』(1988)など多彩な作品を世に送った。『ミシシッピー・バーニング』では 2度目のアカデミー賞にノミネートされた。このほか『ザ・コミットメンツ』(1991),『エビータ』(1996),『ライフ・オブ・デビッド・ゲイル』(2003)などを監督した。1995年大英帝国三等勲功章 CBE,2002年ナイト爵位をそれぞれ授与された。

パーカー
Parker, Theodore

[生]1810.8.24. アメリカ合衆国,マサチューセッツレキシントン
[没]1860.5.10. イタリア,フィレンツェ
アメリカ合衆国のユニテリアン派牧師,説教家,神学者,社会改良家。エブラハム・リンカーンの「人民の,人民による,人民のための政治」という句は,パーカーが著作や講演で述べたことばが元になったとされる。20ヵ国語に通じ,聖書に関するドイツ語文献を翻訳し,高等批評に関心を示した(→聖書文献批判)。またアメリカの歴史的使命を確信し,そのため知的,道徳的,宗教的教育振興の必要を唱え,禁酒,監獄改善,婦人教育,奴隷制廃止などの社会問題に尽力し,政治にも影響を及ぼした。主著『宗教の諸問題』A Discourse of Matters Pertaining to Religion(1842),『Th.パーカー著作集』Theodore Parker's Works(14巻,1863~70)。

パーカー
Parker, Francis (Wayland)

[生]1837.10.9. ニューハンプシャー,ベドフォード
[没]1902.3.2. シカゴ
アメリカの進歩主義的初等教育の創設者,シカゴで最初の父母と教師の会の組織者。 1853年 16歳で教師となり,5年後にイリノイ州キャロルトンで校長となった。南北戦争が起ると連邦軍に加わり,陸軍中佐に昇進した。 72年ドイツに渡り,J.ペスタロッチ,J.ヘルバルト,F.フレーベルらによって開発された新しい教育方法を学んだ。 75年帰国,マサチューセッツ州クインジーの教育長に就任,自然科学,図画,工作を学科課程に導入して子供の自己表現や社会的行動,個性を尊重する人間的で自由な授業を奨励した。 80年ボストンの学校制度の責任者,83年シカゴのクック・カウンティ師範学校の校長に就任,同校はアメリカ教育の自由化に影響を与えたことで有名になった。 99年寄付を得て師範学校 (シカゴ・インスティテュート) を設立。これは2年後パーカーがシカゴ大学教育学部の初代学部長になるとともに同大学の付属施設となった。またシカゴには,彼の名を冠した進歩主義の学校 (私立) がある。

パーカー
Parker, Matthew

[生]1504.8.6. ノリッジ
[没]1575.5.17. ランベス
イギリスの神学者,カンタベリー大主教ケンブリッジ大学に学び,1545年および 49年同大学副総長となった。 59年エリザベス1世の即位とともにカンタベリー大主教に登用され,以後カトリック教会,プロテスタント諸教会から独立,それらの中道を行くアングリカン・チャーチの基礎を定めた。『三十九信仰個条』 Thirty Nine Articlesの起草,ビショップ聖書を企画,完成。主著『イギリスの古代教会』 De antiquitate Britannicae ecclesiae (1572) 。

パーカー
Parker, Charlie

[生]1920.8.29. カンザス,カンザスシティー
[没]1955.3.12. ニューヨーク
アメリカのサクソフォーン奏者。愛称 Bird。アメリカのジャズ界最高のアルト・サックス奏者で,即興演奏家として知られた。 1937年ジェイ・マクシャン楽団に参加し,いくつかの楽団を転々としたのち,44年コンボを結成して,D.ガレスピー,T.モンクとともに当時の新しいジャズ,バップの中心人物となった。 46年麻薬中毒のため入院したが奇跡的なカムバックをとげ,47年に M.ローチ,M.デービスらと五重奏団を結成,ジャズ界の花形奏者として活躍した。

パーカー
Parker, Sir Horatio Gilbert

[生]1862.11.23. オンタリオ,カムデンイースト
[没]1932.9.6. ロンドン
カナダ生まれのイギリスの小説家。オーストラリアや南海を探検したのち,27歳でイギリスに定住,多くの冒険小説を書いた。のち政界に入り,1916年枢密顧問官になった。 17世紀のケベック征服を扱った代表作『巨人の座』 The Seats of the Mighty (1896) のほか,ナポレオン戦争中のチャネル諸島を背景にした『強者の戦い』 The Battle of the Strong (1898) など。

パーカー
Parker, Louis Napoleon

[生]1852.10.21. カルバドス
[没]1944.9.21.
イギリスの劇作家,作曲家。初め音楽家としてドーセットシャーで教鞭をとったが,1892年から劇作に専念,100以上の創作劇や翻案劇を執筆。代表作は『ディズレーリ』 Disraeli (1911) 。ほかに『ドルアリー・レーンのページェント』 The Pageant of Drury Lane (08) ,回想記『わが生涯の数章』 Several of My Lives (28) がある。

パーカー
Parker, Dorothy

[生]1893.8.22. ニュージャージー,ウェストエンド
[没]1967.6.7. ニューヨーク
アメリカの女流詩人,小説家。雑誌『ニューヨーカー』その他の劇評を担当,辛辣な批評で知られた。風刺や機知に富み,簡潔な文体で人情の機微をうがつ佳作を残した。主著,詩集『勝手気まま』 Enough Rope (1926) ,短編集『生者への哀歌』 Laments for the Living (30) 。

パーカー
Parker, Alton Brooks

[生]1852.5.14. ニューヨーク,コートランド
[没]1926.5.10. ニューヨーク
アメリカの法律家。ニューヨーク州控訴院判事,同州控訴院首席判事 (1897) を経て,1904年民主党から大統領候補に選ばれたが,T.ルーズベルトに大敗を喫し,法曹界に戻った。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「パーカー」の意味・わかりやすい解説

パーカー(Charlie Parker)
ぱーかー
Charlie Parker
(1920―1955)

アメリカのジャズ・アルトサックス奏者、作曲家。カンザス州生まれ。プロ入りは15歳。ジェイ・マクシャン楽団を経て1941年ニューヨークに行き、デイジー・ガレスピーらとビ・バップを創造、それを代表する人物として注目の的となった。45年からマイルス・デービスを含む自身のグループで活躍し名声を高める。しかし麻薬禍と病魔から脱することができず、その死を早めた。すべてのモダン・ジャズ奏者に影響を与えた神様的存在で、あだ名はバード(鳥)。主要作品は『ナウズ・ザ・タイム』『ビリーズ・バウンス』など。

[青木 啓]


パーカー(Dorothy Parker)
ぱーかー
Dorothy Parker
(1893―1967)

アメリカのユダヤ系女流詩人、短編小説家。ニュー・ジャージー州生まれ。風刺的な詩集『十分な綱』(1926)で認められ、『ニューヨーカー』誌に書評を書きつつ、都会的で軽妙な詩や短編小説を発表した。作品は『詩集』(1944)、短編集『ここに横たわる』(1939)などに収録。ほかに戯曲、映画の台本もある。

[武藤脩二]

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