日本歴史地名大系 「ヨイチ場所」の解説
ヨイチ場所
よいちばしよ
のちの余市郡の一帯を中心に設定された場所。ヨイチ持場ともいう。その範囲は「フルヒラ境ヨリフンコヘ崎迄ノ里数四里拾八丁」であったが(玉虫「入北記」安政四年閏五月二〇日条)、上ヨイチ・下ヨイチの両場所に分割されていた時期がある。一五九九年(慶長四年)余市川左岸(のちの下ヨイチ場所)が松前八兵衛に、同じく右岸(のちの上ヨイチ場所)が松前左膳に給されたという(余市漁業発達史)。一六三五年(寛永一二年)上余市が松前泰広に宛行われ、松前嘉広が余市商場を始めたとされる(「宮歌村旧記」道立文書館蔵)。一七八〇年代以降天満屋三四郎・藤野喜兵衛が上下を一つとして請け負った時代に上ヨイチ・下ヨイチの領域が入れ替ったとされる。さらに一八二五年(文政八年)林家が請負人となってから西部を下ヨイチ(中心が余市川左岸側のモイレ)、東部を上ヨイチ(中心が余市川河口部)としたという。「西蝦夷地場所地名等控」には惣名ヨイチとして上ヨイチ・下ヨイチがみえ、ユウナイ、シマトマリ、シロヒラ、ノツケ、ヨイチ川、フグヘが含まれる。天保郷帳では西蝦夷地蝦夷人居所之分の「ヨイチ持場」のうちとしてユウナイ、シユマドマリ、レタリヒラ、ヤコウシ、ヌウチ、ヨイチがみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報