北海道西部、後志(しりべし)総合振興局管内の町。積丹(しゃこたん)半島の東岸にあり、日本海に面する。1900年(明治33)町制施行。町名はアイヌ語のイオチ(ヘビの多くいる所の意)からの転訛(てんか)。北部は石狩湾に臨み、西に天狗(てんぐ)岳、八内(はちない)岳がそびえる。JR函館(はこだて)本線、国道5号、229号が通じる交通の要地。江戸中期から和人の来住があり、ニシンの千石場所として知られた。1871年(明治4)会津、山口からの移民団体が入植し、余市川沿いで農業を営み余市リンゴの栽培に成功した。現在リンゴ、サクランボ、ナシ、ブドウ、メロン、スイカなどの栽培で知られ、農業用地の70%以上を果樹園で占める。漁業はかつてのニシンにかわり、スケトウダラ、エビ、カレイ、イカなどを漁獲する。海岸一帯は奇岩断崖(だんがい)が多く、ニセコ積丹小樽(おたる)海岸国定公園の一部。文化財にフゴッペ洞窟(どうくつ)(国の史跡)、旧余市福原漁場(国の史跡)、旧下ヨイチ運上家(きゅうしもよいちうんじょうや)、ニッカウヰスキー余市蒸溜所(ともに国の重要文化財・史跡)、西崎山環状列石(道の史跡)のほか、町立水産博物館などがある。面積140.59平方キロメートル、人口1万8000(2020)。
[瀬川秀良]
『『余市郷土史』全4冊(1966~1987・余市町)』
北海道南西部,日本海に面する後志(しりべし)支庁余市郡の町。人口2万1258(2010)。東は小樽市に接する。市街地は余市川河口にあり,JR函館本線,国道5号線が通り,229号線を分岐する。北後志地方の中心地で,積丹(しやこたん)半島の玄関口でもある。天明年間(1781-89)ころより和人が出入りし,松前藩の魚取引場が置かれ,千石場所と呼ばれるニシンの好漁場として発展した。内陸部は1871年(明治4)ころ余市川の下流に会津などから旧藩士の団体が入植し,水田が開かれ,また開拓使より苗木が交付されてリンゴの栽培が始まり,明治期の中ごろにはロシア領へ輸出された。現在も農業はリンゴ,ナシ,ブドウなどの果樹栽培を主とし,道内有数の果樹生産地である。漁業はニシンが昭和初期ごろから不漁となり,スケトウダラ,エビ,カレイ,イカなどを漁獲する。またウィスキーの原酒工場がある。町域内にはフゴッペ洞窟(史跡),現存する唯一の運上家として貴重な旧下ヨイチ運上家(史跡,重要文化財),ニシン漁の資料などを展示する余市水産博物館などがある。
執筆者:山下 克彦
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