ラモーンズ(読み)らもーんず(英語表記)Ramones

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ラモーンズ」の意味・わかりやすい解説

ラモーンズ
らもーんず
Ramones

ニューヨークパンクを代表するロック・グループの一つ。とりわけ、その特徴的なサウンドスタイルとファッションが後のパンクに強い影響を与えた。

 1974年ニューヨークで、ジョーイ・ラモーンJoey Ramone(1951―2001、ボーカル)、ジョニー・ラモーンJohnny Ramone(1951―2004、ギター)、トミー・ラモーンTommy Ramone(1952―2014、ドラムス)、ディー・ディー・ラモーンDee Dee Ramone(1952―2002、ベース)の4人組として結成、ニューヨーク・パンクの中心地であったライブハウス、CBGBで活動を開始する。全員がステージネームとしてラモーン姓を名のり、革ジャンと膝(ひざ)に穴があいたジーンズというそろいのファッションで、1曲2分あまりのスリーコードの高速ロック・ナンバーを立て続けに演奏するというそのスタイルは、ある種のポップ・アート的な感覚とともにライブハウス・シーンで人気をよぶ。

 1976年『ラモーンズの激情』でデビュー。シンプルでポップな曲調とストレートな演奏は、複雑で観念的なロック・ミュージックがあふれていた時代に新鮮に受け取られた。『ラモーンズの激情』と『リーヴ・ホーム』『ロケット・トゥ・ロシア』(ともに1977)の初期の3枚のアルバムは、パンク・ロック・ミュージックの本質を呈示したサウンドとして現在でも評価が高い。

 その後、メンバーの入れ替わりを繰り返し、新たに加わったメンバーもまたラモーン姓を名のりながらマイペースで活動を続けた。

 1980年代中期になると当時流行したハードコア調のサウンドも取り入れてゆくが、スピーディーでシンプルなスタイルは変化することなく続いた。大ヒットを生むことはなかったが、後の世代のパンク・ロッカーやパンク・ファンからは多大な敬愛を集め、多くのトリビュート盤や海賊盤が出されている。

 1995年、『アディオス・アミーゴス』をリリースし、翌年ロサンゼルスでのライブを最後に活動を停止。ボーカルのジョーイはリンパ腺癌(せんがん)により2001年4月に死去、ディー・ディーは2002年に薬物中毒死、ジョニーは2004年前立腺癌により死去した。

 政治的・社会的反抗スタンスを鮮烈に示すロンドン・パンクとは異なり、ニューヨーク・パンクのスタイルはより観念的か、あるいは享楽的なものであった。ラモーンズはニューヨーク・パンクの享楽的な側面をもっともよく体現したグループであり、後に袋小路に陥ってしまうブリティッシュ・パンクに対して、グランジオルタナティブといった新たな動向へと展開してゆくアメリカン・パンクの源流であり、精神的支柱となった。

[増田 聡]

『ジム・ベスマン著、水上はるこ訳『ラモーンズ伝説』(1994・宝島社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

大臣政務官

各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...

大臣政務官の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android