リットン調査団(読み)リットンチョウサダン

デジタル大辞泉 「リットン調査団」の意味・読み・例文・類語

リットン‐ちょうさだん〔‐テウサダン〕【リットン調査団】

1932年、満州事変調査のため国際連盟より派遣された、リットン団長とする紛争調査隊。満州国日本傀儡かいらい国家として否定する報告書を作成した。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

旺文社日本史事典 三訂版 「リットン調査団」の解説

リットン調査団
リットンちょうさだん

1932(昭和7)年,満州問題について国際連盟より派遣された調査団
1931年9月満州事変がおこると中国は連盟に提訴,これに対し理事会は紛争の不拡大と領土保全を決議し,日本の軍事行動停止を勧告した。一方アメリカ・フランス・ドイツ・イタリアイギリスの各国委員よりなる調査団(イギリス人リットン卿が委員長)を'32年3月現地に派遣。同年10月報告書を公表。日本の行為を侵略とみなし中国の主権を認めながら満州における日本の特殊権益を認める妥協的結論を示し,日中間に新条約締結を提案したが,日本はこれを不満とし,'33年3月,連盟を脱退した。

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「リットン調査団」の解説

リットン調査団(リットンちょうさだん)
Lytton Commission

国際連盟満洲事変調査団。1931年満洲事変が起こると,国際連盟は日本の提案により現地調査団(団長リットン)を派遣,32年10月調査報告書を発表した。報告書は,日本軍の行動は自衛権範囲外にあり,さきに成立した満洲国は住民の支持を得ていないといいながらも,日本の在満権益は保護されるべきであるといっている。日本はこの報告書にもとづく勧告に反対して,翌33年国際連盟を脱退した。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「リットン調査団」の解説

リットン調査団
リットンちょうさだん
Lytton Commission

1931年に起こった満州事変を調査するため,32年,国際連盟が中国の提訴(1931年9月21日)と日本の提案(同年12年10日)にもとづいて満州に派遣した調査団(団長はイギリス人のリットン)
調査団は日本・中国・満州での調査報告をまとめ,1932年10月2日に詳細な報告書を公表した。それは,満州の特殊事情を理解し,日本の権益の尊重をうたっているが,満州国の成立を承認できないとしていた。国際連盟総会がこの報告書を42対1で採択したため,1933年3月27日,日本は国際連盟から脱退することを通告した。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

山川 日本史小辞典 改訂新版 「リットン調査団」の解説

リットン調査団
リットンちょうさだん

イギリスのリットン卿を団長とする満州事変に関する国際連盟現地調査委員会。1931年(昭和6)12月に設置。イギリスのほかにフランス・ドイツ・イタリア,国際連盟非加盟国のアメリカの5カ国の委員によって構成され,32年4月から6月にかけて,東京や満州,北平(ペイピン)(北京)などの中国各地で現地調査を行った。10月の報告書は,日本軍の正当防衛を認めない一方で,満州の特殊事情に理解を示す妥協的な内容であった。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

百科事典マイペディア 「リットン調査団」の意味・わかりやすい解説

リットン調査団【リットンちょうさだん】

リットン報告書

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

今日のキーワード

負けるが勝ち

イギリスの詩人,作家 O.ゴールドスミスの喜劇。5幕。 1773年コベントガーデン劇場で初演。初め『間違い続きの一夜』 The Mistakes of a Nightとして執筆。当時流行のセンチメンタ...

負けるが勝ちの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android