ワルヒャ(英語表記)Helmut Walcha

改訂新版 世界大百科事典 「ワルヒャ」の意味・わかりやすい解説

ワルヒャ
Helmut Walcha
生没年:1907-91

ドイツの盲目のオルガン奏者,ハープシコード奏者。ライプチヒ音楽院でG.ラミンに師事,1926年からトーマス教会で師の助手を務める。29年フランクフルトアムマインのフリーデン教会,44年には同地のドライケーニゲ教会のオルガン奏者に就任。さらに38年からフランクフルト高等音楽学校で教鞭をとる(-1972)。第2次大戦後もひきつづきフランクフルトを中心に活躍,とくに終戦直後の46年からドライケーニゲ教会で毎週即興演奏を含むオルガン演奏を行い,また音楽学校でバッハ作品の連続演奏会と講演を行って注目された。77年に引退するまで,彼の音楽活動はつねに学問的研究と演奏とが一体化したものであった。《バッハ・オルガン作品全集》のレコードは,その成果を集約的に示している。
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百科事典マイペディア 「ワルヒャ」の意味・わかりやすい解説

ワルヒャ

ドイツのオルガン奏者,ハープシコード奏者。ライプチヒに生まれる。幼時から視力に障害をもち,ライプチヒ音楽院在学中に失明。1926年からバッハゆかりのトマス教会で師G.ラミン〔1898-1956〕の助手を務め,1929年フランクフルト・アム・マインのフリーデン教会,1946年同地のドライケーニゲ教会のオルガン奏者に就任。1938年−1972年フランクフルト高等音楽学校教授。その後もフランクフルトを拠点に活動を続け,定期的に開催されたJ.S.バッハ演奏会と講演により世界的な注目を集めた。1947年に開始されたJ.S.バッハのオルガン作品全曲録音は,モノラルステレオで2度にわたり《バッハ・オルガン作品全集》(1947年−1956年,1956年−1971年)としてまとめられ,バッハ演奏史上屈指の業績となった。学問的探究に裏打ちされた明晰(めいせき)かつ重厚な演奏で知られ,《フーガの技法》の校訂をはじめ,バッハ研究に大きな足跡を残している。1977年引退。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ワルヒャ」の意味・わかりやすい解説

ワルヒャ
Walcha, Helmut

[生]1907.10.27. ライプチヒ
[没]1991.8.11. フランクフルトアムマイン
ドイツのオルガン奏者,チェンバロ奏者。ライプチヒ音楽院在学中,16歳で失明。 1922~27年 G.ラミーンに師事。 29年フランクフルトアムマインのフリーデンス教会のオルガン奏者に就任。同地で 33年からホーホ音楽院教授,38年国立音楽学校教授,46~77年三王教会オルガン奏者をつとめた。 J.S.バッハの解釈者,演奏家ヘンデルのオルガン協奏曲全集の出版者として知られている。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ワルヒャ」の意味・わかりやすい解説

ワルヒャ
わるひゃ
Helmut Walcha
(1907―1991)

ドイツのオルガン、ハープシコード奏者。ライプツィヒ生まれ。16歳で失明したが、生地の音楽院でギュンター・ラミンに師事、1926年には同地の聖トマス教会オルガン奏者に任命された。29年以後はフランクフルトを中心に演奏、教育活動を続け、77年に引退した。この間、みごとな構成力と精神性の表出を一致させたバッハ解釈により、つねに20世紀のもっとも優れたバッハ解釈者の1人として高い評価と尊敬を集め、二度にわたりバッハのオルガン曲全曲をレコード録音した。

[美山良夫]

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