現代外国人名録2016 「ヴェルナーヘルツォーク」の解説
ヴェルナー ヘルツォーク
Werner Herzog
- 職業・肩書
- 映画監督
- 国籍
- ドイツ
- 生年月日
- 1942年9月5日
- 出生地
- ミュンヘン
- 本名
- シュティペティチ,ヴェルナー〈Stipetić,Werner〉
- 学歴
- ミュンヘン大学
- 受賞
- カール・マイヤー賞(ミュンヘン)〔1964年〕「灯火信号」(シナリオ),ドイツ連邦共和国映画賞〔1967年〕「生の証明」,ベルリン国際映画祭銀熊賞(審査員特別賞)・新人監督賞(第18回)〔1968年〕「生の証明」,カンヌ国際映画祭国際審査員賞(第28回)〔1975年〕「カスパー・ハウザーの謎」,カンヌ国際映画祭監督賞(第35回)〔1982年〕「フィツカラルド」,ザルツブルク文学賞「氷上旅日記―ミュンヘン―パリを歩いて」,東京国際映画祭審査員特別賞(第24回)〔2011年〕「ハッピー・ピープル タイガで暮らす一年」
- 経歴
- 14歳で東ヨーロッパ、ギリシャを旅行、15歳で映画のシナリオを書く。ミュンヘンで歴史、文芸学、演劇学を学び、のち渡米、工場で働きながら独学し、1962年短編映画「ヘラクレス」を製作。’63年自分のプロダクションを設立し、中・短編を自主製作。’67年自身の脚本「灯火信号」を映画化した「生の証明」で長編デビュー、’68年のベルリン国際映画祭で初上映され、一躍脚光を浴びる。’74年社会風刺劇「カスパー・ハウザーの謎」を発表、“ニュー・ジャーマン・シネマ”の旗手として注目される。主演にクラウス・キンスキーを好んで起用し、「アギーレ・神の怒り」(’72年)、「ノスフェラトゥ」(’79年)、「ヴォイツェク」(’79年)、「フィツカラルド」(’82年)などを製作。’91年キンスキーが急逝すると、劇映画から遠ざかり、専らドキュメンタリーに力を入れる。2001年「神に選ばれし無敵の男」を10年ぶりに監督。ほかの作品に「小人の饗宴」(1970年)、「シュトロツェクの不思議な旅」(’77年)、「緑のアリが夢見るところ」(’84年)、「コブラ・ヴェルデ」(’87年)、「彼方へ」(’91年)、「キンスキー、我が最後の敵」(’99年)、「Grizzly Man」「ワイルド・ブルー・ヨンダー」(2005年)、「My Son,My Son,What Have Ye Done」(2009年)、「世界最古の洞窟壁画3D 忘れられた夢の記憶」(2010年)、「ハッピー・ピープル タイガで暮らす一年」(2011年)などがある。また、詩作、シナリオ集、旅行記(「氷上旅日記」)なども発表、バイロイト音楽祭のオペラ演出も手がけるなど多方面で活躍。1983年第1回ドイツ映画祭で来日。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報