文学を対象とする学問、科学。しかし、文学に関していったいそんなものがありうるのか、という問いや疑いは、この学問の成立以前からあり、現在でもつねにその種の疑惑や不信は存在している。「材料集め(Kunde)」としてなら認めることができるが、それ以上のものとしては認められない。もともと文学作品は、読者のそれぞれにすこしずつ違った感受性や思考を通さなければ生きてこないものなので、そういうものについて客観的な学問、科学(Wissenschaft)などということは無理だ、というのは確かに一面の真実をついているが、そこでとどまってしまわなかったところに文芸学成立への道が開かれ始めた。
[小田切秀雄]
文芸学としての自覚と体系化への試みは19世紀になってからだが、文芸についての客観的な判断、理論的な思考は、古典ギリシアの時代から始まっており(アリストテレスの『詩学』は代表的。遅れて文学時代に入った日本でも、古代の『古今和歌集』仮名序や『源氏物語』中の物語論など以来)、積み重ねられてきた多様な理論のうちには、文学の本質やジャンル等についての優れた研究、批評、思考が含まれ、それらは『詩学』の場合と同じように、文学に対してさまざまな角度から立ち入った客観的な論として現在でも尊重され生かされている。それらの論が確かな力をもつのは、ほしいままな感受性や思考の戯れと違って、文学作品に客観的に内在するものをどの角度からかしっかり押さえているためである。作品に客観的に内在するもの、というのは、個人的に実にさまざまな読み方をする無数の読者を通して一つの作品が高く評価され、またそれが時代を超えて生き続ける、ということによって、読者の個人差を超えて読者をとらえるものが作中に客観的に実在することを示している、という意味である。この客観的なものをしっかりと押さえた論が、優れた論ということになる。ドイツ文学でいえばレッシング、ゲーテ、シラー以来の文学論、ロシアでいえばベリンスキー、ドブロリューボフ、ピーサレフ、チェルヌィシェフスキー、トルストイ、ドストエフスキー、ゴーリキーらの文学論、などがそれらの代表的な理論ということになる。これらの理論、文学的思考の存在が、文芸学というものの存在の基盤である。ただしそれは基盤であって文芸学そのものではない。文芸学は個々の文学理論の体系的・包括的な展開のうえに形成される。その体系は、基盤との生き生きとした関係を失うと形骸(けいがい)化するが、学問的な体系としての包括性と徹底性とは文芸学の本来の特色たるべきものである。文芸学はまず主としてドイツとロシアとで発展した。
[小田切秀雄]
「文芸学」ということばは、19世紀のなかばからドイツで使われ始め、文学史の方法論という形で体系化が始まるが、しだいに従来の文学研究の諸領域を包括し文学全般の体系的研究に向かった。しかし、その主要な領域の一つとしての具体的な文学史研究とはいちおう別に、文学そのものの理論的追求ないし文学史方法論としての追求が、20世紀初めごろからいわゆる「精神科学派」(ディルタイらの)を中心に、哲学的ないし心理学的な方向で展開し始めた。創作体験の分析に進み出るにあたって人間精神の構造から考えようとし、文学の本質や諸ジャンルや様式や制作の類型やについても「精神科学」的な思考が行われた。これを中心とする流れはしだいにさまざまな傾向に分化し、ディルタイ、エルスターらの創作心理学的傾向、フロイト、ユングらの精神分析的深層心理学の傾向、種族と土地と言う「根源的な力」の作用から文学史をみるナードラーJoseph Nadler(1884―1963)らの民族主義的傾向(のちナチ的文学観念の中心となる)、比較文学的方法を組み入れたシュトリヒFritz Strich(1882―1963)らの傾向などが生まれた。もちろん、これらのほかにも社会学的または極左的などの諸傾向があったことはいうまでもない。しかし、「精神科学」以来の観念的・主観的傾向の著しいドイツ文芸学に対して、フランスでは比較文学の実際的および理論的研究がいわば文芸学のかわりになっていた。
[小田切秀雄]
ドイツ文芸学の「精神科学」的傾向に対立するソビエト文芸学が成立するのは、1920年代からである。革命前からフリーチェら文学のマルクス主義的研究者の活動はあったし、さらにさかのぼれば19世紀後半のベリンスキー以来のラジカルな文学理論の蓄積があったが、1920年代からは、さまざまなソビエト文芸学の潮流が活動を始め、その豊かな地盤の上に革命と美と文学理論をめぐる理論上のせめぎあいに発展した。しかし、そのなかで、ラップ(ロシア・プロレタリア作家協会)などの政治主義的急進派が、1933年のソビエト作家同盟成立まで力をふるい、シクロフスキーらからバフチンらに至る流れや、ペレベルゼフの流れなどを、形式主義だとかメンシェビキ的だとか、そのほかさまざまな名目で攻撃し、不当に排除することに成功していた。ソビエト作家同盟成立後は、ひととき、百花斉放に向かい始め、シルレル、ヌシノフ、ローゼンターリ、ルカーチらによって理論的活気を示し、「文芸百科全書」などの達成を示したが(日本にも一部が翻訳された)、スターリン粛清が始まるとともに無力化していった。戦後も、スターリン批判以後ようやく新たな活気を示し始めたが、ルカーチ、ティモフェーエフらのすぐれた業績にもなお、多くの問題が含まれている。社会主義崩壊後のようすはまだ混沌(こんとん)という状態である。
[小田切秀雄]
日本では大正末年から文芸学的関心がみられ始めたが、1933年(昭和8)岡崎義恵(よしえ)による「日本文芸学」の提唱(ドイツの心理主義美学の適用という面が著しい)と、それを批判する石山徹郎(てつろう)(1888―1945)、近藤忠義(ただよし)(1901―1976)、本間唯一(ゆういち)(1909―1959)らの唯物史観的文芸学の志向が対立して以来、さまざまな動向がある。
[小田切秀雄]
『シルレル著、熊沢復六訳『文芸学の発展と批判』(1934・清和書店)』▽『竹内敏雄編『美学事典』(1961・弘文堂)』▽『小田切秀雄著『文学概論』(1972・勁草書房)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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