演劇学(読み)えんげきがく

改訂新版 世界大百科事典 「演劇学」の意味・わかりやすい解説

演劇学 (えんげきがく)

ひろくは演劇に関するあらゆる研究をつつむ語であるが,狭義ではドイツで提唱されたTheaterwissenschaft(演劇学)の理念を重んじて,これを日本へ移植する努力のうちに定着した学問的名称である。

 今日,演劇の理論的研究は,大学文学部の国文学,外国文学,美学,社会学などの諸学科を拠点として行われているのが通例である。しかしドイツ語圏では,20世紀初頭から,大学内に独立の講座や学科を設けて演劇研究の自律性を打ち出したところがある。その制度をひらいたのは〈演劇学〉の提唱者のヘルマンMax Herrmann(1865-1942)で,彼は1923年ベルリン大学に演劇学研究所を創設して,ここで独自の演劇史学を築いた。すなわち演劇史が戯曲史でなく,上演された演劇そのものの歴史であることを固守し,過去の上演の復元想定を課題とする方法である。この演劇史研究の系譜には,ウィーン大学演劇学研究所の創立者キンダーマンHeinz Kindermann(1894- )による《ヨーロッパ演劇史》全10巻(1957-74)という成果も生まれている。他方ではミュンヘン大学の演劇講座をながく担当したクッチャーArthur Kutscher(1878-1960)も忘れがたい。彼は演劇史をはなれてむしろ俳優の演技を重視し,演劇学の主題は演劇本来の表現手段たる〈身ぶりMimik〉にあると鋭い論陣を張った。〈劇的なるもの〉の概念をめぐる文芸学者E.シュタイガーとの対峙によって,演劇の特質を際立たせた功績は大きい。ほかに演劇学者としてはH.ディンガー,C.ハーゲマン,J.ペーターゼン,H.クヌーツェン,C.ニーセンらの名が挙げられる。

 ところで演劇学の独立を促した背景をみると,少なくとも二つの要因が注目される。一つは19世紀後半の文芸思潮である。当時新興の自然主義戯曲を重んじた演出家A.アントアーヌO.ブラームは,劇場を真実探究の場所に変え,観客にとっても演劇は,これまで思いがけぬ美的意義を獲得して新たな判断をもとめる独自の対象となった。もう一つは劇場機構の革新とこれに伴う演出術の飛躍的な展開である。舞台装置や照明におけるA.アッピアE.G.クレーグの理念,演出におけるM.ラインハルトの華麗な実践は演劇の自律性を鮮やかに印象づけたのである。こうした歴史的動向につき上げられて,演劇学が,戯曲研究に終始しがちな文芸学からの解放を唱えたことは当然であったろう。

 演劇学は上演される“生きた”演劇を重視して,演劇史研究と体系的演劇論とを包括する科学的研究を使命とする。もとより演劇学をかえりみぬ個別的な演劇研究は各方面に輩出しているし,演劇学の理念のもとでも,その歴史部門における資料集積の成果は大きい。だが“生きた”演劇として把握すべき独自の対象を,決してくり返さぬ一回的な上演とみなすことから,研究方法の確立に困難があり,方法論の見地からも演劇学は他学科に吸収されかねない。ドイツではたえず演劇学の危機が語られているが,日本でも独自の研究領域や課題について一致する見解がなく,演劇学の学問体系樹立はいまだ模索の状態にある。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「演劇学」の意味・わかりやすい解説

演劇学
えんげきがく

演劇を対象とする学問。美学、文芸学、音楽学、一般芸術学などと並ぶ学問の一分野であるが、このような意味での演劇学の樹立が提唱されたのは20世紀初頭である。

 西洋では古代ギリシアにアリストテレスの『詩学』があり、近世以後はボアローレッシングをはじめ多くの演劇論者が生まれた。しかしそのほとんどは戯曲論、戯曲作法、つまりドラマツルギーであった。日本では逆に『風姿花伝(ふうしかでん)』ほかの世阿弥(ぜあみ)の能楽論や近松門左衛門の「虚実皮膜論」、「役者評判記」のような演技、演出すなわち芸論が主であって、東西ともに体系的な演劇学ではなかった。20世紀になって西洋で演劇学の必要が唱えられたのには、二つの動機があった。第一は近代になって舞台美術、照明、効果、舞台機構などの要素が分化発達した結果、総合芸術としての演劇を多角的に研究する必要が生じたこと、第二は美学から芸術学が、詩学から文芸学が独立し、音楽学が提唱されるというような学界の一般的趨勢(すうせい)があったことである。

 こうしておもにドイツのロベルト・プレールス、マックス・ヘルマン、フーゴー・ディンガーらによってこの学問の目的、方法、対象などが検討され始め、演劇学Theaterwissenschaft(ドイツ語)という語が生まれた。続いてカール・ハーゲマンは『演出論』(1916)、『近代舞台芸術』(1921)で舞台統率者としての演出の機能を論じ、ユリウス・バープは『演劇社会学』(1931)により、作者、俳優、観客は本来三位(さんみ)一体であることを文化人類学や社会学の視野から主張した。さらにアルトゥール・クッチャーは『演劇学綱要』において、発生論的方法により演劇の本質的要素として身ぶりMimik(ミミーク)ということを抽出、イギリスのジェーン・ハリソンは『古代芸術と祭式』(1918)で演劇の祭祀(さいし)性を文化史論的に明らかにした。これらは大正末期から日本にも影響を及ぼし、第二次世界大戦後日本演劇学会の創立(1949)をもたらし、まだ多くはないが、大学に演劇学科も設けられるようになった。この学問はまだ若いのと、対象が複雑多岐であるため各論的研究を多く出ないが、比較研究や構造主義、記号学なども導入され、新しい展開が期待されている。各国をつなぐ組織としては国際演劇学会連合、国際演劇史研究会議などがあり、日本演劇の研究についてはウィーンに「ヨーロッパ日本演劇文化研究センター」が設立(1981)され、演劇学の国際交流が進められている。

[河竹登志夫]

『河竹登志夫著『演劇概論』(1978・東京大学出版会)』『河竹登志夫著『比較演劇学』(1967・南窓社)』『河竹登志夫著『続比較演劇学』(1974・南窓社)』『小畠元雄著『演劇学の基本問題』(1969・風間書房)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「演劇学」の意味・わかりやすい解説

演劇学
えんげきがく

演劇を体系的に研究することによってその本質を追求する学問。アリストテレスの『詩学』以来,ローマのホラチウスを経て,ルネサンス期のイギリスの P.シドニー,J.ドライデン,フランスの N.ボアロー=デプレオーにいたるまでの研究はいずれも戯曲論であり,この傾向は 19世紀の G.フライタークや W.アーチャーの劇作法が出るまで変らなかった。しかし 19世紀から 20世紀にかけての科学技術の進歩に伴う舞台機構や装置,照明のメカニズムの発達は,演劇学のあり方にも変化をもたらした。 A.アッピア,E.G.クレイグ,M.ラインハルトらの反自然主義的演劇理論とその実践は,これまでの戯曲中心の演劇を総合的な全体演劇の方向へ変えていった。その結果,演劇学の学問的体系性はくずれはしたが,今日の A.アルトーや J.グロトフスキらの演劇の実践と切り離せない理論が演劇学の対象として新たに取上げられるようになった。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android