日本大百科全書(ニッポニカ)「演劇学」の解説
演劇学
えんげきがく
演劇を対象とする学問。美学、文芸学、音楽学、一般芸術学などと並ぶ学問の一分野であるが、このような意味での演劇学の樹立が提唱されたのは20世紀初頭である。
西洋では古代ギリシアにアリストテレスの『詩学』があり、近世以後はボアロー、レッシングをはじめ多くの演劇論者が生まれた。しかしそのほとんどは戯曲論、戯曲作法、つまりドラマツルギーであった。日本では逆に『風姿花伝(ふうしかでん)』ほかの世阿弥(ぜあみ)の能楽論や近松門左衛門の「虚実皮膜論」、「役者評判記」のような演技、演出すなわち芸論が主であって、東西ともに体系的な演劇学ではなかった。20世紀になって西洋で演劇学の必要が唱えられたのには、二つの動機があった。第一は近代になって舞台美術、照明、効果、舞台機構などの要素が分化発達した結果、総合芸術としての演劇を多角的に研究する必要が生じたこと、第二は美学から芸術学が、詩学から文芸学が独立し、音楽学が提唱されるというような学界の一般的趨勢(すうせい)があったことである。
こうしておもにドイツのロベルト・プレールス、マックス・ヘルマン、フーゴー・ディンガーらによってこの学問の目的、方法、対象などが検討され始め、演劇学Theaterwissenschaft(ドイツ語)という語が生まれた。続いてカール・ハーゲマンは『演出論』(1916)、『近代舞台芸術』(1921)で舞台統率者としての演出の機能を論じ、ユリウス・バープは『演劇社会学』(1931)により、作者、俳優、観客は本来三位(さんみ)一体であることを文化人類学や社会学の視野から主張した。さらにアルトゥール・クッチャーは『演劇学綱要』において、発生論的方法により演劇の本質的要素として身ぶりMimik(ミミーク)ということを抽出、イギリスのジェーン・ハリソンは『古代芸術と祭式』(1918)で演劇の祭祀(さいし)性を文化史論的に明らかにした。これらは大正末期から日本にも影響を及ぼし、第二次世界大戦後日本演劇学会の創立(1949)をもたらし、まだ多くはないが、大学に演劇学科も設けられるようになった。この学問はまだ若いのと、対象が複雑多岐であるため各論的研究を多く出ないが、比較研究や構造主義、記号学なども導入され、新しい展開が期待されている。各国をつなぐ組織としては国際演劇学会連合、国際演劇史研究会議などがあり、日本演劇の研究についてはウィーンに「ヨーロッパ日本演劇文化研究センター」が設立(1981)され、演劇学の国際交流が進められている。
[河竹登志夫]
『河竹登志夫著『演劇概論』(1978・東京大学出版会)』▽『河竹登志夫著『比較演劇学』(1967・南窓社)』▽『河竹登志夫著『続比較演劇学』(1974・南窓社)』▽『小畠元雄著『演劇学の基本問題』(1969・風間書房)』