ヴォイスラフ コシュトニツァ(英語表記)Vojislav Koštunica

現代外国人名録2016 の解説

ヴォイスラフ コシュトニツァ
Vojislav Koštunica

職業・肩書
政治家,憲法学者 元ユーゴスラビア連邦大統領,元セルビア首相

国籍
セルビア

生年月日
1944年3月24日

出生地
ユーゴスラビア・セルビア共和国ベオグラード(セルビア)

学歴
ベオグラード大学ロースクール修了

学位
法学博士

経歴
社会主義政権下の旧ユーゴスラビアで法学者を志し、憲法を学ぶ。ベオグラード大学ロースクール助教授となるが、チトー政権末期の1974年、戦後4度目の憲法改正に反対したため大学を追われる。ベオグラード社会科学研究所勤務、法律雑誌の編集長などを務める。その後、人権擁護活動に取り組むが、東欧諸国が激動に揺れた’89年、野党・ユーゴスラビア民主党創設に参加。’92年離党し、新たにセルビア民主党(DSS)を旗揚げして党首。この間、’90年にセルビア共和国議会選挙に初当選、’93年再選。2000年9月長年に渡るミロシェビッチ大統領の独裁政権に反旗を翻し、野党連合の統一候補として大統領選に出馬。大統領と一騎打ちの末、得票数を上回るが、過半数に達していないとして大統領側が決選投票実施を主張。それに反発した民衆が蜂起し政権が崩壊、同年10月ユーゴスラビア連邦大統領就任を宣言する。同年12月セルビア議会選で野党連合が全議席の3分2以上を占め大勝利を収める。2003年2月ユーゴスラビア連邦が消滅し、連合国家セルビア・モンテネグロ発足。2004年3月セルビア共和国首相に就任。2006年6月モンテネグロの独立で現セルビア首相に。2007年5月再任。2008年3月コソボ独立をめぐる連立政権内の対立により政府が機能しなくなったとして、辞意表明。5月の総選挙で議席を減らし、退任。2014年DSSを離党。“反共闘士”の顔と反米色の強い民族主義者の顔を持つ。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android