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セルビア・モンテネグロ

知恵蔵の解説

セルビア・モンテネグロ

1992年4月に建国されたユーゴスラビア連邦(新ユーゴ)を構成していたセルビア、モンテネグロ両共和国による、緩やかな連合国家。外交、安全保障、国際経済関係を共通とする連合国家であり、国連での議席は1つ。共通議会は直接選挙で選出された議員からなり、定数は126人(セルビア91、モンテネグロ35)、首都の規定はなく、通貨は、セルビアではディナール、モンテネグロではユーロが使用される。3年後に連合形態を見直し、国民投票により独立する権利が保障されたことが重要。人口1000万のセルビアと65万のモンテネグロからなる非対称的な国家であったが、両者はセルビア語とセルビア正教を共通とする親密な関係にあった。しかし、ボスニア内戦終結後も国際社会への復帰を認められないミロシェビッチ政権のユーゴスラビア連邦に対して、モンテネグロの自立傾向が強まった。97年10月のモンテネグロ共和国大統領選挙で、民主社会党党首のジュカノビッチは、ミロシェビッチ派の現職を僅差ながら破って当選。98年5月の議会選挙でも、同党を中心とした連合が勝利をおさめた。国際社会の支援を受けたモンテネグロの独立傾向は、コソボ紛争や99年のNATOのユーゴ空爆と連動して強化された。2000年10月の「民衆革命」後、それは更に強まった。02年3月、セルビアとモンテネグロとの間に緩やかな連合国家セルビア・モンテネグロを作ることで合意が成立。憲法委員会は同年12月にようやく新憲法案を起草、03年2月4日に連邦議会がこれを採択して、セルビア・モンテネグロへの移行が完了した。1929年以来使われてきたユーゴスラビアという国名は、完全に消滅した。06年6月、国民投票によりモンテネグロが独立した。

(柴宜弘 東京大学教授 / 2007年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

百科事典マイペディアの解説

セルビア・モンテネグロ

ヨーロッパ南東部,バルカン半島西部に位置した旧国名(2003‐2006年)。1990年代初頭まではセルビアクロアチアボスニア・ヘルツェゴビナスロベニアマケドニアモンテネグロの6共和国からなるユーゴスラビア社会主義連邦共和国を構成したが,1991年にクロアチア,スロベニア,マケドニアが,1992年にはボスニア・ヘルツェゴビナが,それぞれ独立を宣言し,連邦は崩壊した。セルビアとモンテネグロが1992年,新たに2国だけでユーゴスラビア連邦を再結成した。旧ユーゴは25万5804km2,2348万人(1991)。 北部はドナウ川とその支流のティサ川,サバ川流域の平野で,南部は山がちの地形となる。モンテネグロ(黒い山の意)はその名のとおり,ディナル・アルプスから続く山地が大部分を占める。南西部のかなり狭い部分でアドリア海に面しており,ここがユーゴ唯一の海への出口であった。内陸部では大陸性の気候,アドリア海沿岸部では地中海式気候を呈する。 旧ユーゴでは第2次大戦後,産業国有化,農業の集団化が進められたが,農業面ではすでに1950年代初めに協同組合への加入脱退の自由が認められ,工業面でも1965年の経済改革などにより,国内企業間の自由競争が認められるなど,労働者自主管理制度と外交面の非同盟政策を2本の柱とする独自の社会主義路線を歩んだ。1980年のチトー大統領の死後,中央の連邦政府への求心力が弱まり,経済的には対外債務が重圧となり,インフレが続いた。新ユーゴにおいてもボスニア内戦とそれにからむ国際社会からの制裁で経済は大打撃を受け,1994年には1ヵ月で300万倍の物価上昇というハイパー・インフレに見舞われた。 6−7世紀ころ南スラブ人がこの地に定着し,セルビア人,クロアチア人,スロベニア人に分化,15世紀以降はオスマン帝国(トルコ)やオーストリア・ハンガリー二重帝国の支配下にあった。第1次大戦後の1918年にセルビア人クロアチア人スロベニア人王国が建設され,1929年ユーゴスラビア王国と改称したが民族問題で紛争が続いた。第2次大戦中ドイツに占領されたが,チトーの指導で抵抗運動を展開,自力で解放を実現した。1945年王制廃止と人民共和国成立を宣言,1946年社会主義憲法を制定した。独自の社会主義路線を推進し,1948年コミンフォルムの批判を受けてソ連の指導を離れたが,東西両陣営間にあって積極的中立政策をとった。しかし,国内では,セルビア中心の中央政府と自立を志向する共和国との対立がくすぶり,これが1980年のチトーの死後,いっきょに噴き出し,1991年から1992年にかけて4共和国が独立,セルビアとモンテネグロは新たな連邦を結成した。セルビア共和国にはボイボディナコソボの2自治州がある。コソボでは独立をめざすアルバニア系住民と政府軍との戦闘が1998年以降激化し,難民が大量に発生した。ユーゴのミロシェビッチ政権は同年6月主要8ヵ国(G8)による和平案を受け入れ,NATO主体のコソボ平和維持部隊(KFOR)が同地に展開し,国連コソボ暫定統治機構(UNMIK)が設置された。2000年9月の大統領選挙で民主野党連合がミロシェビッチを倒し,ユーゴは国際社会への復帰をめざすにいたった。同年11月,国連に加盟。いっぽう,モンテネグロは早くから連邦からの自立化傾向を強め,2003年2月,国名のユーゴスラビアを破棄して,セルビア,モンテネグロ両共和国による国家連合セルビア・モンテネグロ(議会は一院制)が発足し(首都はベオグラード),同年3月議会は初代大統領にマロビッチ(モンテネグロ共和国)を選出した。しかし,2006年5月モンテネグロ共和国で国家連合からの分離独立の是非を問う国民投票が行われ,国家連合解消が決まり(独立支持の得票率55.5%),これに基づき,6月3日,フィリップ・ブヤノビッチ大統領がモンテネグロ共和国の独立を宣言,セルビア・モンテネグロは3年で消滅した。2008年2月には,セルビア南部のコソボ自治州がセルビアからの分離・独立を宣言。
→関連項目ユーゴスラビア

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

セルビア・モンテネグロ
せるびあもんてねぐろ
Serbia and Montenegro

2003~2006年にヨーロッパ南東部にあった連合国家。セルビアとモンテネグロの二つの共和国で構成されていた。バルカン半島に位置し、南西部はアドリア海に臨み、北をハンガリー、北東をルーマニア、東をブルガリア、南をマケドニアとアルバニア、西をクロアチアとボスニア・ヘルツェゴビナと接していた。首都はベオグラード。面積10万2173平方キロメートル。うちセルビア共和国の面積は8万8361平方キロメートル、主都はベオグラード。モンテネグロ共和国の面積は1万3812平方キロメートル、主都はポドゴリツァ(旧名チトーグラード)。
 セルビアとモンテネグロは、もともとユーゴスラビア連邦共和国(新ユーゴスラビア)を構成していたが、2003年2月公布の新憲法(憲法的憲章)に基づき、両共和国の行政権を大幅に拡大した、より緩やかな連合国家the State Unionへ移行、国名をセルビア・モンテネグロと改称した。その後、2006年5月、かねてより分離独立志向が強かったモンテネグロが、独立の是非を問う住民投票を実施。その結果、賛成多数により独立を決定、同年6月にモンテネグロは、独立宣言を行い独立国家モンテネグロ共和国となった。それを受け、セルビアは、セルビア・モンテネグロの承継国として独立国家セルビア共和国となり、連合国家セルビア・モンテネグロは消滅した。[編集部]

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