一国社会主義論(読み)いっこくしゃかいしゅぎろん(その他表記)sotsializm vodnoi strane

山川 世界史小辞典 改訂新版 「一国社会主義論」の解説

一国社会主義論(いっこくしゃかいしゅぎろん)
sotsializm v odnoi strane

世界革命の直接的展望が失われ,ロシア革命孤立が明らかになった時点で,1924年12月スターリンが打ち出した理論トロツキー世界革命論対立し,以後3年間の党内論争の中心的争点をなし,スターリンの勝利によりソヴィエト社会主義建設の基本思想となった。ソ連一国での社会主義建設は可能であるが,本来的に,あるいはロシアの後進性のために,先進国革命なしには建設完了は不可能であるとした従来の通念,反対派の主張を退けて,ロシア革命にとって先進国革命の意義はソ連を反革命から守ることにあるとし,一国でも社会主義建設を完了しうると主張するもの。

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旺文社世界史事典 三訂版 「一国社会主義論」の解説

一国社会主義論
いっこくしゃかいしゅぎろん
sotsializm vodnoi strane

スターリンが唱えた,ロシア一国だけでも社会主義の建設は可能であるとする理論
1924年5月,スターリンが『レーニン主義基礎について』の中で初めて提起した考え方。マルクス主義の理論では,社会主義の建設は,先進資本主義国における工業労働者の政権奪取によって実現されるものと考えられていた。ロシア革命の成功は,後進国における社会主義建設の課題を提起することになった。西欧先進諸国における革命退潮のなか,ソ連のような広大な国は,一国だけで社会主義の建設が可能であるとする主張がなされた。この結果,社会主義の建設の理論をめぐって,全世界の社会主義化を主張する世界革命論のトロツキーとの対立が深刻化した。

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世界大百科事典(旧版)内の一国社会主義論の言及

【ソビエト連邦】より

…この間スターリンはジノビエフカーメネフと協力してトロツキー派を抑え込むことに成功した。次いで一国社会主義論を採ったスターリンとブハーリンは提携して,ジノビエフ,カーメネフ派と争い,27年にはトロツキー派とも組んだこの合同反対派を完全に失脚させた。 この対立の背景には,経済が1926年に第1次大戦前の水準にまで復興し,ネップの漸進主義に対する不満が頭をもたげているという事情もあった。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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