先進国革命(読み)せんしんこくかくめい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「先進国革命」の意味・わかりやすい解説

先進国革命
せんしんこくかくめい

高度に発達した生産力と民主主義的政治制度の伝統をもつ諸国における革命のこと。後進国革命、中進国革命などと対比される。近代革命は、封建制を基礎にもつ絶対主義を打倒し資本主義発展の諸条件を整えるブルジョア民主主義革命として、当時における生産力水準の相対的に高い国々、イギリスフランスから始まった。マルクスエンゲルスは、19世紀世界市場の中心にある西欧諸国のいずれかから始まる相対的に短期の諸革命の連鎖的波及を想定しており、プロレタリアートの権力獲得としての社会主義革命は、先進国においてのみ成就(じょうじゅ)されることは当然のことであり、この先進国での革命が、たとえばイギリスとインドとの関係のように、後進諸植民地にもインパクトを与えると考えていた。後進国ロシアで革命運動を指導したレーニンは、資本主義の帝国主義段階への移行を分析し、この段階においては資本主義発展の未成熟なロシアにおいても、帝国主義諸国間の対立の亀裂(きれつ)のなかで、また先進諸国の労働者階級の一部が植民地的超過利潤の分け前により買収され体制内化してくるもとで、プロレタリアートの前衛党の指導により社会主義革命を開始することは可能であると考え、二月革命から十月革命への勝利を導いた。同時にレーニンは、ロシアのような国では社会主義革命を開始しえてもこれを維持し社会主義を建設するのは困難であると考え、西欧諸国(とくにドイツ)での社会主義革命へと波及することを期待しコミンテルン共産主義インターナショナル、1919~43)を創設したが、ロシア以外の国での革命は敗北に終わり、一国社会主義建設の道の選択を強いられた。レーニンの死後トロツキースターリンの間に世界革命の展望とロシアの一国社会主義建設をめぐる論争がおこったのも、先進国革命と後進国革命ないし中進国革命との世界革命の進行過程での関係が未解決のまま残されていたからであった。

 この問題を、明確に意識し、世界革命過程でのそれぞれの国々の革命のあり方を理論的にも定式化しようと試みたのは、東方諸国を含む全世界に共産主義政党を創設したコミンテルンであり、より具体的には、ブハーリンの指導のもとにつくられた「コミンテルン綱領」(1928)であった。そこでは、先進国革命は高度に発達した資本主義と民主主義的伝統をもつ国々でのプロレタリア社会主義革命として定式化され、1917年のロシアのような封建遺制を残し民主主義的伝統の弱い中進国革命(日本もここに含まれた)、植民地・従属諸国の反帝反封建ブルジョア民主主義革命としての後進国革命と対比された。しかし、この硬直した理論は、先進国とされたイタリアやドイツでのファシズムの勝利と革命勢力の敗退により破綻(はたん)し、コミンテルン第7回大会(1935)は、ファシズムに対してプロレタリア独裁をただちに対置するのではなく、むしろブルジョア民主主義を対置しての統一戦線・人民戦線樹立を提唱した。この反ファシズム戦争としての第二次世界大戦のなかから勝利したのも、先進国プロレタリアートではなく、中進国東欧での人民民主主義革命や後進国中国での反帝反封建革命であった。そして、後進国ないし中進国から発した社会主義の諸国では、スターリンの大粛清をはじめ、西欧先進国の伝統的価値としての自由や民主主義の侵害・抑圧が顕著にみられた。1989年の東欧革命、91年のソ連崩壊は、民主主義と自由を抑圧するかたちでの社会主義は存続しえないことを示した。したがって、先進国革命の成就による社会主義は、まだ人類未踏のものであり、20世紀に現存した社会主義を反面教師として形成される、自由と民主主義の全面開花、文字どおりの「諸個人の自由な発展が万人の自由な発展の条件となるような共同社会」(共産党宣言)としてしか構想しえないのである。

[加藤哲郎]

『田口富久治著『先進国革命と多元的社会主義』(1978・大月書店)』『上田耕一郎著『先進国革命の理論』(1973・大月書店)』『加藤哲郎著『東欧革命と社会主義』(1990・花伝社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「先進国革命」の意味・わかりやすい解説

先進国革命
せんしんこくかくめい

高度に発達した先進資本主義国における革命,およびその路線のこと。先進資本主義国の共産党は長い間マルクス=レーニン主義から抜け出すことができなかったが,1956年のスターリン批判に刺激されて転換しはじめ,まずこの年にイタリア共産党 (現左翼民主党 ) の P.トリアッチ構造改革論を提唱した。そしてこれを契機として一気に多様な理論と路線が登場しはじめた。そのなかで注目されるのは 57年に発表された東ドイツ (当時) の K.ツィーシャンクの理論である。彼は物理的暴力装置としての「政治国家」と統制的調節的機能としての「経済国家」の二面性を強調した。そしてこの経済国家論と構造改革論とを接合して現在の先進国革命論が生れるにいたった。すなわち国家が生産,所有,管理,分配などに介入し,資本の社会化をはかることによって統制的,調節的機能を果しつつあるという基本認識に立って,反資本主義的要素を資本主義社会の内部に導入することにより,資本とブルジョア権力とのブロックに対抗する介入政策を行い,社会主義的変革への諸条件をつくりだすことができるとするものである。この理論は提唱された当初には承認されなかったが,1960年代に入り中ソ論争 (→中ソ対立 ) に端を発する国際共産主義運動の分裂の過程でフランスなどの共産党に受入れられ,ユーロコミュニズムとして先進資本主義国の共産党に共通した革命路線となった。

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