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一条忠頼 いちじょう ただより

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

一条忠頼 いちじょう-ただより

?-1184 平安時代後期の武将。
武田信義の子。治承(じしょう)4年甲斐(かい)(山梨県)武田氏の一族とともに反平家の兵をあげる。のち源頼朝軍に合流。源義仲の追討に功があったが,忠頼の勢威をおそれた頼朝の命で,元暦(げんりゃく)元年6月16日小山田有重らに鎌倉で殺された。通称は次郎。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

一条忠頼

没年:元暦1.6.16(1184.7.25)
生年:生年不詳
平安末・鎌倉初期の武将。甲斐国(山梨県)の住人。武田信義の子で甲斐源氏の嫡流。治承4(1180)年,父や安田義定ら一族と共に反平家の兵を挙げ,信濃国に出陣して平家余党を制圧した。その後,駿河国に赴き源頼朝軍に合流する。元暦1(1184)年1月の源義仲追討戦などで活躍するが,忠頼の勢威の強大さや甲斐源氏の勢力拡大は頼朝の恐れるところとなり,同年6月,幕府御所にて,宿老御家人が居並ぶなか,頼朝の密命を受けた小山田有重,天野遠景らにより誅殺。

(三田武繁)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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