一柳友善(読み)ひとつやなぎ・ともよし

朝日日本歴史人物事典 「一柳友善」の解説

一柳友善

没年:安永7(1778)
生年享保1(1716)
江戸後期の装剣金工家。本姓平野氏,初名を良(両)助,のちに伊左衛門を名乗る。屋号長崎屋篠崎保平門下で学び(一説軍地功阿弥の門下ともいう),常陸国(茨城県)水戸下町曲沢手町に住した。作品には一柳を切彫りすることが多い。作品には「竜透鐔」(東京国立博物館蔵)をはじめ鉄地で地透かしの力強いものが多く,水戸彫りとして名をなした一柳派の初代として著名である。多くの門弟を輩出し,直系も大正11(1922)年に没した6代友善まで続いたが,なかでも3代,4代の友善の技量がすぐれていた。<参考文献>『東京国立博物館図版目録/鐔篇』

(加島勝)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「一柳友善」の解説

一柳友善(初代) ひとつやなぎ-ともよし

1716-1778 江戸時代中期の装剣金工。
享保(きょうほう)元年生まれ。篠崎保平(しのざき-やすへい)の門人常陸(ひたち)水戸にすみ水戸藩御用をつとめる。水戸彫りの一柳派の初代。竜図の透かし彫り鉄鐔(つば)など代々鉄鐔がおおい。安永7年7月16日死去。63歳。本姓は平野。通称は伊左衛門。屋号は長崎屋。

一柳友善(2代) ひとつやなぎ-ともよし

1744-1784* 江戸時代中期の装剣金工。
延享元年生まれ。初代一柳友善の子。はじめ常陸(ひたち)水戸にすみ,江戸にでて辻政親(まさちか)の門人となった。天明3年12月14日死去。40歳。本姓は平野。通称は伊左衛門。屋号は長崎屋。

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