七日市場村(読み)なのかいちばむら

日本歴史地名大系 「七日市場村」の解説

七日市場村
なのかいちばむら

[現在地名]山梨市七日市場

南西流する笛吹川を挟んで八幡北やわたきた村・岩手いわで村の東に位置し、同川左岸の平坦地に広がる。集落秩父ちちぶ往還沿いにあり、枝郷に石島いしじまがある。地名は昔市場が開かれていたことによるとされ、木戸きど立石たていしなどの地名が残る(甲斐国志)。市の成立は秩父往還沿いの交通の要所という立地と、七日子ななひこ神社の斎場という条件によるものと考えられる。「一蓮寺過去帳」の天正二〇年(一五九二)頃供養の直阿弥陀仏に七日市場と注記されるが、当地のことか。

慶長古高帳に村名がみえ、高三六四石余、幕府領

七日市場村
なのかいちばむら

[現在地名]三郷村大字明盛めいせい 七日市場

あずさ川左岸段丘上に立地。江戸時代には松本まつもと島内しまうち高松たかまつから梓川を渡って南安曇郡に入る口にあたっている。当村から一日市場ひといちばに通ずる道沿いに立石たていしの地字がある。初見は寛文三年(一六六三)検地である。二木ふたつぎ村の内にあってこの時分村している。安政二年(一八五五)の安曇筑摩両郡村々明細調書上帳によれば、諏訪神社の付近に野々宮ののみやかみの地字がみられる。このほか、かちか町・元屋敷もとやしき若宮わかみや・かぢ田・狐田きつねだ(畑)油田あぶらだ・がらん田等、寺院の地名がみられる。

文政一一年(一八二八)助郷一件村々歎願(務台久彦氏蔵)によれば、当村ではここ一〇ヵ年分の高五千三〇五石四斗七升七合に対して、諸手当引は二千七四一石八斗三升五合(平均五割一分六厘九毛)、七日市場村・野沢のざわ村二ヵ村の一〇ヵ年分の諸普請・諸木代金六二両二分、銀九匁五分、寄夫普請諸木代金二二両一分、銀一一匁五分、諸普請・塩竹蕨伝馬人足三万三千七一七人、塩・竹伝馬三四七匹、甲州回米渡方金一二五両二分、銀一〇匁、ぬる堰水揚・庄野堰諸入用金六三両二分、銀九匁二分、諸橋木掛方諸入用金二三両二分とされている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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