日本歴史地名大系 「七条新地」の解説
七条新地
しちじようしんち
江戸中期、町地として開発され、茶屋・遊郭を中心に発達した。北は五条通、南は七条通、東は鴨川、西は
明治五年(一八七二)の「京都府下遊廓由緒」には、七条新地の開発について次のようにみえる。
一方、「月堂見聞集」正徳三年(一七一三)条には「七条川原新地出来、高瀬川筋を掘替へ少々民家建つ、妙法院様御領地也」とみえるから、おそらく宝永三年(一七〇六)に正面通南側、正徳二、三年頃に正面通北側が開発されたものと思われる。
宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」は、正面通南側の「八ッ柳町・山王町・十禅子町・八王子町・新日吉町・大宮町・上三宮町・下三宮町・稲荷町・南裏町・上二宮町・下二宮町」の一二町を「七条新地」、北側の「聖真子町・岩滝町・富浜町・富松町・高宮町・鍵屋町・早尾町・菊屋町・湊町・梅沢町・波止土濃町・平岡町」の一二町を「六条新地」とする。ただし「八つ柳町といふは北に有て七条新地より支配し又平岡町といふは七条新地に有て六条新地の支配なり」といった入組みがあったようだ。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報