日本歴史地名大系 「七百町新地」の解説
七百町新地
ななひやくちようしんち
鏡町のうち旧が家臣の手取米の増加を図るために、
当初の計画では、宇土郡の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
鏡町のうち旧が家臣の手取米の増加を図るために、
当初の計画では、宇土郡の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
…1805年(文化2)の百町新地,19年(文政2)の四百町新地がそれである。21年の七百町新地は藩の指導のもと郷内の資金と労力を得てなされた。この地先に明治以後の干拓地が造成された。…
…この平野は,九州山地から八代海に注ぐ球磨川をはじめ氷川,砂川,大野川などのつくる南北に細長い扇状地性の複合三角州と干拓地からなる。平野の約55%は近世初頭以来の干拓地で,なかでも八代郡鏡町の七百町新地(1821完成)は藩政時代の干拓地としては最大である。また1904年に八代郡が独力で完成した郡築(ぐんちく)新地は1047haに及ぶ。…
※「七百町新地」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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