七箇村
しちかむら
[現在地名]仲南町七箇
阿讃山地の大川山の西に続く分水嶺の北麓と、財田川・金倉川の上流域に位置し、七ヶ村とも書く。かつて塩入川の流域であった春日・小池・福良見・照井地区には扇状地特有の堆積物の層が確認される。北部の満濃池周辺から石器類が採取され、満濃池地の五毛の山の神神社跡は弥生時代の遺跡である。平安末から鎌倉期にかけて久保の尾瀬山にあった真言宗山岳寺院の尾背寺が繁栄し(南海流浪記)、南北朝期には大谷川六郎左衛門光邦が春日城に拠り(全讃史)、阿讃の南朝方の重要拠点の連絡路を確保した。現在、政所屋敷とよばれ約七〇〇平方メートルの畑地に野面積みの石垣が残り、春日城跡と推定される。戦国期になると本目城に本目左衛門尉正利が拠って(同書)、三好氏や長宗我部軍を迎え撃って戦った。城跡は藤目神社の裏山に尾根を断ち切るように造られた空濠や、数ヵ所の削平地を確認することができる。
近世に入って本目・春日・小池・福良見・照井・帆山・後山の七ヶ村東分と、新目・山脇・大口・追上・宮田・生間・買田の七ヶ村西分に分れ、寛永国絵図にはこれらの地や塩入などを合せて七ヶ村として高付され高三千一三三石余。東分の高は、寛永一七年(一六四〇)の生駒領高覚帳では二千一三石余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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