日本歴史地名大系 「万正寺村」の解説 万正寺村まんしようじむら 福島県:伊達郡桑折町万正寺村[現在地名]桑折町万正寺桑折村の西に位置し、北は南半田(みなみはんだ)村。産(うぶ)ヶ沢(さわ)川が東部を南流し、伊達氏の本拠桑折西山(こおりにしやま)城があった北部の高館(たかだて)山の稜線が南に延び、中屋敷(なかやしき)付近からは産ヶ沢川に沿って平坦地となる。村名は伊達朝宗の菩提寺とされる満勝(まんしよう)寺(現廃寺、後身の寺は現仙台市青葉区)に由来し、近世初期には満勝寺村(万勝寺村とも)と記された。耳囃談(五島家文書)、日録(山川家文書)によると、伊達氏が出羽長井へ移った後、家中屋敷を田畑にして農民が集まって村となったという。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録に満勝寺とあり、高五五一石余。 万正寺村まんしようじむら 静岡県:磐田市万正寺村[現在地名]磐田市万正寺中野(なかの)村の西にあり、南は鮫島(さめじま)村、北は下岡田(しもおかだ)村。豊田(とよだ)郡に属する。正保郷帳に村名がみえ、高三一九石余、幕府領。うち田方二一六石余・畑方九九石余、万正寺(現臨済宗妙心寺派萬勝寺)領三石余。日損、新田ありと注記される。元禄郷帳では高三五四石余。元禄一二年(一六九九)の青山忠重領知目録に村名がみえ、浜松藩領。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by