朝日日本歴史人物事典 「万里小路季房」の解説
万里小路季房
生年:生年不詳
鎌倉時代後期の公卿。父は権大納言宣房。中納言藤房の弟。後醍醐天皇の側近のひとり。正安3(1301)年叙爵。延慶1(1308)年尊治親王(後醍醐天皇)立太子の際に東宮権少進 となる。蔵人,弁官を経て嘉暦3(1328)年に蔵人頭,元徳2(1330)年に参議。右大弁と中宮亮を兼ねた。翌年,後醍醐天皇の討幕のくわだてが漏れると(元弘の変),中宮後京極院(西園寺禧子)を嵯峨の野宮に避難させたが,自身は六波羅の軍勢に捕らえられた。謀議への関与をとがめられ配流に処されたが,配流地は下野国とも下総国とも常陸国の長沼駿河守のもとともいう。鎌倉幕府滅亡の数日前に,配流先で殺された。万里小路家の家嫡は彼の子の仲房が継いだ。
(本郷和人)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報