礼成門院(読み)れいせいもんいん

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「礼成門院」の解説

礼成門院(1) れいせいもんいん

1303-1333 鎌倉時代,後醍醐(ごだいご)天皇の中宮(ちゅうぐう)。
嘉元(かげん)元年生まれ。西園寺実兼(さねかね)の娘。尊治(たかはる)親王(のち後醍醐天皇)の後宮にはいり,懽子(かんし)内親王(のち宣政門院)を生む。元徳4=元弘(げんこう)2年天皇の隠岐(おき)配流(はいる)後,北朝から院号をうけ出家。翌年天皇の京都帰還により中宮に復し,ついで皇太后となった。正慶(しょうきょう)2=元弘3年10月12日死去。31歳。後京極(ごきょうごく)院と追号された。名は禧子(きし)。

礼成門院(2) れいせいもんいん

1650-1725 江戸時代前期-中期,後光明天皇の第1皇女。
慶安3年10月15日生まれ。母は庭田秀子天和(てんな)3年内親王となる。享保(きょうほう)10年6月26日准三宮(じゅさんぐう)となり,同日死去。76歳。幼称は女一宮。名は孝子

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の礼成門院の言及

【女院】より

… 院号宣下の時期は,東三条院や上東門院のごとく出家に当たって宣下された例もあるが,以後は必ずしも特定されず,没日に〈御存生之儀〉をもって院号を下された京極院(亀山天皇皇后)や後京極院(後醍醐天皇皇后。2度院号宣下を被った人で,礼成門院ともいう)などの例,また没後院号を追贈された新崇賢門院(東山天皇の後宮)や新皇嘉門院(仁孝天皇の後宮)の例もある。 女院は多く宮城門にちなむ院号を宣下されたため門院とも称されるが,東三条院や上東門院などは殿邸名により,禎子内親王は御領所枇杷殿が陽明門大路に当たるため陽明門院と定められたが,以来,殿邸・御領所などにゆかりの宮城門号が用いられ,さらに藤原璋子(鳥羽天皇皇后)の待賢門院を初例として,殿邸とは無関係に門号が女院号に用いられた。…

※「礼成門院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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