日本歴史地名大系 「三ッ寺村」の解説 三ッ寺村みつてらむら 群馬県:群馬郡群馬町三ッ寺村[現在地名]群馬町三ッ寺井出(いで)村の東にあり、北は保渡田(ほどた)村。中央を唐沢(からさわ)川、西村境を猿府(さるふ)川が南流。土地はおおむね平坦で、東部から南部にかけての棟高(むねたか)村・中泉(なかいずみ)村境辺は低地。唐沢川沿いに三国街道が通る。地名の由来はかつて天昌(てんしよう)寺・長野(ながの)寺・宗慶(そうけい)寺の三寺があったことによるという。元和五年(一六一九)の安藤対馬守殿御領分高覚帳(東大史料編纂所蔵)に村名がみえる。高二六九石余、田方九町六反余・畑方一三町余。高崎藩領。寛文郷帳では田方二一七石余・畑方二六六石余、同藩領。元禄郷帳には当村分として福島(ふくしま)新田がみえる。天明三年(一七八三)には九平治組と弥左衛門組合せて九三戸・五三六人(明治二年「家数人数取調帳」小島文書)。江戸後期の御改革組合村高帳では高崎藩領で家数五二。北部に三ッ寺・棟高・中泉三ヵ村の水田二〇町歩を灌漑する広さ五千余坪の溜井がある。慶安二年(一六四九)造成されたもので、堆積した土砂を三〇年ごとにさらってきたが、その都度一千人ずつ二一日間も要した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報