三ヶ所村(読み)さんかしよむら

日本歴史地名大系 「三ヶ所村」の解説

三ヶ所村
さんかしよむら

[現在地名]五ヶ瀬町三ヶ所

周囲には急峻な山々が迫る五ヶ瀬川の支流三ヶ所川流域の小盆地にある。東および北東向山むこうやま村・押方おしかた(現高千穂町)南東飯干いいぼし峠を越え七ッ山ななつやま(現諸塚村)、南は財木たからぎ(現椎葉村)に接する。高千穂一八ヵ郷の一。室野むろの不動堂の永正元年(一五〇四)の棟札に「高千穂庄三ケ所宝村」とあり、高千穂庄に属していた。また同堂の不動明王仏の光背銘にも永正元年一一月一〇日「甲斐大和守重(運)子孫繁昌為也」とあり、三田井氏家臣の甲斐氏が寄進している。天正五年(一五七七)伊東義祐は島津氏に日向国を追われ豊後に逃亡するが、一二月二三日、地内「うちの口」に宿泊し、高千穂方面から豊後に入った(「山田宗昌覚書」山田文書)。同一三年閏八月、大友勢が高知尾たかちおに進出したため、島津家久が田代たしろ(現熊本県御船町)に出張した際に、「三ケ所」の勢力は直ちに島津側の手に属することを約束した(上井覚兼日記)。同一五年には豊臣勢の九州侵攻によって島津氏は日向支配を諦め、あがた(現延岡市)には高橋元種が配置された。年未詳三月二七日の甲斐宗摂書状写(旧文書)によれば、元種の下向に伴い普請のことがあり、また検使が三ヶ所から七ッ山方面へ向かうことを甲斐新二郎に知らせている。

寛永一一年(一六三四)の指出(国乗遺聞)に村名がみえ、高七一九石余。

三ヶ所村
さんがしよむら

[現在地名]磯部町三箇所さんがしよ

的矢まとや湾の南岸にあり湾を隔てて北東に渡鹿野わたかの村がある。「志陽略誌」などには「三箇所」とある。字さとには三ヶ所貝塚があり土師器片を出土している。近世を通じて鳥羽藩領で、答志とうし郡に属し、臨海村であるが浦役は納めていない。享保一一年(一七二六)村差出帳(徳川林政史蔵)によれば、高二一二・八三二石のうち一四・一一四石が水主米高として寛文四年(一六六四)から定引となり、ほかに反畝不明の弁高として無地三六・五二一石がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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