日本歴史地名大系 「五ヶ瀬町」の解説 五ヶ瀬町ごかせちよう 宮崎県:西臼杵郡五ヶ瀬町面積:一七一・七七平方キロ西臼杵郡の西部に位置し、西は熊本県上益城(かみましき)郡清和(せいわ)村・阿蘇(あそ)郡蘇陽(そよう)町、北から東は高千穂町、東は東臼杵郡諸塚(もろつか)村、南は同郡椎葉(しいば)村に接する。五ヶ瀬川の源流地域にあって、中央構造線の延長にあたる臼杵―八代構造線の走る山間部や、阿蘇山を一望できる高原地帯に集落が形成されている。延岡から熊本方面に至る国道二一八号が東西に、椎葉から熊本方面に至る国道二六五号が南北に走る。過去に陸の孤島といわれていたが、津花(つばな)トンネルの完成により昭和五〇年(一九七五)に津花バイパス、同五四年に岩神(いわがみ)バイパス、さらに平成八年(一九九六)には国見(くにみ)トンネルが完成し道路事情は一変した。五ヶ瀬川の支流三(さん)ヶ所(しよ)川左岸に三ヶ所神社裏遺跡がある。県北の山間部では珍しい縄文時代早期の土器を伴った遺跡で、周辺には縄文時代後期の打製石器などを出土した鳥(とり)ノ巣(す)遺跡・中山(なかやま)遺跡・中村(なかむら)遺跡がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「五ヶ瀬町」の意味・わかりやすい解説 五ヶ瀬〔町〕ごかせ 宮崎県北西部,五ヶ瀬川の最上流域にある町。熊本県に接する。 1956年鞍岡村と三ヶ所村が合体して町制。古くは高千穂の三田井氏の領地で,文禄1 (1592) 年延岡藩領となり,明治にいたる。九州山地にあって山林が大部分を占め,米作のほか,シイタケ,茶などが栽培される。古来肥後 (熊本) との交流が盛ん。五ヶ瀬の荒踊 (重要無形民俗文化財) を伝える。国道 218号線,265号線が通じる。面積 171.73km2。人口 3472(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by