三上 卓
ミカミ タク
昭和期の国家主義者,海軍中尉 5.15事件の海軍将校リーダー。
- 生年
- 明治38(1905)年3月22日
- 没年
- 昭和46(1971)年10月25日
- 出生地
- 佐賀県
- 学歴〔年〕
- 海兵(第54期)〔大正15年〕卒
- 経歴
- 海兵時代から藤井斉少佐の感化を受けて大川周明の大学寮に出入りし、井上日召、西田税、橘孝三郎らと同志的関係を結ぶ。昭和4年海軍中尉。5年古賀清志らとともに国家革新運動に参加。7年5月15日海軍少壮士官、陸軍士官候補らと首相官邸に犬養首相を襲った(5.15事件)。「無理せんでも話せばわかる」という首相に山岸宏海軍中尉が「問答無用、撃て」と叫んだのに応じて黒岩勇予備少尉とともに短銃を発射、犬養は同夜死亡した。“愛国の真情”に対して減刑嘆願書が殺倒、8年公判での三上の判決は禁固15年という寛大なものだった。三上は当時の陰のヒット曲「昭和維新の歌」の作詞者でもあった。13年の大赦による出所後は翼賛壮年団中央本部組織部長、ひもろぎ塾塾頭を務め、近衛新体制運動を推進。戦後の追放解除後も右翼活動を続け、24年の海烈号事件に関係、36年の三無事件で検挙されるが、のち証拠不十分で釈放。黒竜倶楽部世話人。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
三上卓 みかみ-たく
1905-1971 昭和時代の軍人,国家主義者。
明治38年3月22日生まれ。昭和7年海軍中尉のとき,五・一五事件で犬養毅(いぬかい-つよし)首相を射殺。禁固15年の刑をうけ,13年仮出獄,15年皇道翼賛青年連盟を結成。戦後は24年海烈号事件で検挙され,また36年川南豊作の三無(さんむ)事件に関係した(不起訴)。「昭和維新の歌」の作詞・作曲者。昭和46年10月25日死去。66歳。佐賀県出身。海軍兵学校卒。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
三上 卓 (みかみ たく)
生年月日:1905年3月22日
昭和時代の軍人;国家主義者
1971年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の三上卓の言及
【五・一五事件】より
…決起の最終計画は5月13日に決定された。 計画にしたがって,5月15日午後5時半ごろ三上卓中尉ら海軍将校4名,士官候補生5名の第1組が首相官邸に自動車で乗りつけ,日曜日の休養をとっていた犬養毅首相を襲った。犬養は〈話せばわかる〉と制したが,山岸宏中尉が〈問答無用,撃て〉と叫び,黒岩勇予備役少尉と三上がピストルで犬養を撃ち,犬養は午後11時26分絶命した。…
【三無事件】より
…初め国史会事件と呼ばれたが,グループの主張から三無事件と呼ばれるようになった。1961年12月12日までに,元川南工業社長川南豊作,元陸軍少将桜井徳太郎,元海軍中尉三上卓([五・一五事件]の首謀者),元陸軍士官学校生徒小池一臣ら13人が逮捕され,つづいて4次まで検挙がおこなわれた。国史会グループは川南の主張する〈無戦争・無税・無失業〉の三無主義に共鳴し,現在の政府では共産革命を抑止することができないと,元同僚の自衛隊幹部にも呼びかけ,国会の開会する12月9日,国会の周辺を騒乱状態にして,閣僚や国会議員を暗殺する計画を立てた。…
※「三上卓」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」